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COLUMNSブログ「論語と算盤」

なぜ今の文明は頼りないのか

2021年12月10日

せいつれば、たみひゃくばいす。じんを絶ちを棄つれば民こうえる。こうを絶ちを棄つれば、盗賊あることなし。この三者さんしゃおもえらく、ぶんにしてらずと。ゆえあつむるところあらしむ。あらわし、ぼくいだき、を少なくし欲をすくなくす。〔絶聖棄智章第十九〕

(聖人とか智慧者とかそういったものを棄て去る、聖人を貴び智慧者を貴ぶ、そういう風習をすべて絶ち切るならば、民の利益は百倍になるはずだ。聖人とか智慧者、そういうものをあがめ、そういう人に追いつこうとする、そこから人々はいよいよ衰弱する、ノイローゼになる、そういうものを棄て去るならば、民の利益は百倍する。

 仁とか義とかいう道徳律を棄て去るならば、人間は、親と子の本来の愛情にたちかえるであろう。技巧とか利益とか、そういった文明をすべて棄て去るならば、人は盗みを働くことはあるまい。聖智、あるいは仁義、それから功利、こういった三つのものは、ほんとうに道を理解した人からみれば、文明ではあるが、天下を治めるには足りない。それよりは、民を村に集め、持って生まれたままの生地を表す、荒木のままを大切に保つ、利己心を少なくし、欲望を少なくする、そうさせたほうがよろしい。)

<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>

 

 

 

儒家に対するアンチテーゼと言われる章です。

 

 

その一方、このようなことを言わねばならなかった

時代背景もあったのではないかとも察せられます。

 

つまり、文明に伴う悪害が、数千年来常に続いているということです。

 

 

孔子が仁を語った時代、

ソクラテスは善を、お釈迦様は慈悲を語っているというのも、

世界全体の気が同期しているようにさえ感じられます。

 

 

 

 いま私たちは、現代の文明が最も優れているはずである、

 

遠い過去からの知恵の積み重ねの結果であるのだから、と思っています。

 

 

 

しかし、積み重ねられた結果には、文明に付随する悪害もあります。

 

 公害、兵器、文化の消滅、イデオロギーの対立、多次元的な争い・・・

 

 

 

あくせくと働き、何かに追いつこうとし、

見栄を張ろうとし、威張ろうとし、人より優れようとし、

ひどい場合には盗んでしまう。

 

 

文明が進歩・拡大するとともに、悪害も進歩・拡大しています。

 

 

太古の時代・・・

他の部族との争い、

    山では獣に、海では荒波に、地上では豪雨というように、

自然の力の前に亡くなる命もたくさんあったでしょう。

 

現代・・・

同じ人類から命を狙われる危険性が高まり、

道路では自動車が、親族間でも暴力やひどい場合には殺し合いが、

自然災害の被害の巨大化、他国からの攻撃や侵略。

 

 

 

 

そんな中、人として賢くなるべき事柄、

つまり生き方や道徳という概念が徐々に生存領域を失ってきています。

 

 

 

かと言って、いまさら、粗末な衣服で、寝室も冷暖房もない

竪穴式住居に暮らすようなイメージはナンセンスです。

 

 

知恵は根こそぎ使わねばなりません。

 

 

 

人類の歴史とともに進歩した文明、その文明の闇の部分としての悪害を除き、

 

自然とともにこの地球に生じた人間、その“人”としての生き方の道を皆で考え、

 

一人一人がきちんと自己を修めた上で、穏やかで明るい世界を後世に残すこと。

 

 

 

頼りない文明ではなく、人類の英知が今の文明を生んだのだと、

 

胸を張って言える世界にしていくことが、

 

“人”としての、そして後世に対する責務として心得たいものです。