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COLUMNSブログ「論語と算盤」

立派な人と偉い人

2021年12月7日

何程なにほど制度方法を論ずるとも、その人にあらざれば行われがたし。人ありのち方法の行わるるものなれば、人は第一の宝にして、おのれその人に成るのこころ肝要かんようなり。

(どんなに制度や方法を論議しても、それを実際に政策として行う人がいなければならない。その実行する責任者が、立派な見識を持った人物でなければ、その政策は上手く行われないだろう。

 だから、その立派な人物があって初めて、さまざまな政策、制度が生きてくるものだから、人こそ第一の宝であって、自分がそういう立派な人物になるよう心がけるのが、何より大事なことである。)

<出典:「西郷南洲遺訓」桑畑正樹訳 致知出版社>

  

 

 

あらゆる組織、集団を動かす中心は人。

 

 

手順や規則などを決めれば、それでうまくいくと考えるのは軽率です。

 

しかし、自省を含めて、経験が浅いような場合などはそれで良しとしてしまいがちです。

 

 

 

西郷さんの言う「その人」とは、

訳者による「立派な人物」そのものでしょう。

 

 

 

少し前、「立派な人」と「偉い人」の違いについて考える機会がありました。

 

「立派」と「偉い」の違いを辞典で調べるのが普通でしょうが、

訳あってそうはしませんでした。

 

 

 ・偉い人とは・・・あがめられる人、最後まで頑張れる人、

           社会的地位が高い人、人を使う人、

社会的資源(ヒト・モノ・カネ等)を動かせる人、助けてくれる人

 

 ・立派な人・・・人として尊敬される人、信頼される人、

           人を活かす人、人に親切にできる人、

生きる力を与えてくれる人、一人で立つ人

 

 

こう考えました。

 

 

 

考えたきっかけは、

ガッツ石松さんが中学卒業後に一度上京し、打ちひしがれて故郷に舞い戻り、

その後改めて挑戦しようと上京を決意した際に、

お母さんから言われたという言葉です。

 

 

 

「偉い人間なんかにならなくていい、立派な人間になれ」

 

<出典:「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」

藤尾秀昭編 致知出版社>

 

 

貧しい生活の中、息子を高校にも行かせられなかったお母さんにとって、

この言葉に込められた意味、そして思い、願いはどういうものだろうと、

その心情を感じたかったのです。

 

 

決して、偉い人物を嫌っているわけではないでしょう。

 

ただ、偉い人をめざすと、人の目、常識、周囲の状況、そして運にも左右され、

さらに他者との争いや無益な競争も必要になるでしょう。

 

やっとの思いで、自分が思い描いた状況に達したとしても、

あっと言う間にそこから転落する可能性も少なくありません。

 

 

おそらく、そんなことはしなくて良いから、人の役に立ち、人を裏切らず、

天に胸を張れるよう、きちんと生きていってほしい、

そんな切なる気持ちだったのではないかと感じた次第です。

 

 

 

「誠の人間というものは、

彼の義務が要請する時と場合においてのみ、世の舞台に出なければならぬが、

それ以外は退いて家庭にかえり、少数の友人と交わり、尊い書籍に学んで、

なるべく人知れず生きるべきである。」

 

<出典:「立命の書『陰騭録』を読む」安岡正篤著(致知出版社)より

ゲーテの畏友マックス・フォン・クリンゲルの言葉として>

 

 

 

大きな舞台でなんかでなくて結構、小さく狭くて十分

 

立派に生き抜く日々を積み重ねたいものです。