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COLUMNSブログ「論語と算盤」

私たちが向かう先

2021年11月25日

のたまく、われいまだ仁を好む者、じんにくむ者を見ず。仁を好む者はもっこれくわうる無し。不仁を悪む者は、れ仁をす。不仁者をして其の身にくわえしめず、一日いちじつも其の力を仁に用いること有らんか、我未だ力の足らざる者を見ず。けだらん、我は未だこれを見ざるなり。

(先師が言われた。「私は、まだ本心から仁を好む者、不仁を悪む者を見たことがない。仁を好む者はその上に付け加えるものはない。又不仁を悪む者は当然仁を行うし、不仁者の悪影響を受けることもない。せめて一日でも、その程度にはなりたいものだ。その日その日を仁に励めばよいのである。たった一日の辛抱さえできない人はまさかいないだろう。いるかも知れないが、私はそれもできないような人を見たことがない(できるはずだ)」)

<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>

 

 

 

「仁」

 

 

 

他者の心中を思いやること

 

人にとって、大切で、重要で、納得できる。

 

今後、この世界がどちらに向かおうとも、最後に残るのは「仁」であるはずです。

 

 

 

最近の中国共産党は、正しい美醜感覚の確立のために

中性的な男性を否定し始めているとのこと。

 

世界のメディアは当然のごとく批判的です。

 

 

ただ、多くの人がもやもやした感じを持っていないでしょうか。

 

 

 

人類の進化を顧みると、世界全体、過去から現在、古今東西、

なよなよしい男性は基本的に否定されてきています。

 

私も屈強な男性という部類ではないので、

もし数世紀前に生まれていたら、

猛獣や他の部族に襲われたり、食糧難に直面したりしたときには、

恐らく速い順番で犠牲になったくちだと感じます。

 

 

 

しかし、もしもそれが進化の原則であるのなら

どう捉えるべきなのでしょう。

 

ジェンダーフリーという世界的な流れもあるので、

だれも皆、話題として取り上げない方が無難ということでしょうか。

 

 

 

さらに中国共産党は、

IT企業やSNSへの統制を目的とした締め付けも行っているようです。

 

メディアを見る私たちは、「ひでぇな」などと言いつつ

またもや、もやもやしたものを感じます。

 

 

というのも、欧米でさえ

GAFAをはじめとする巨大IT企業への批判を高めているからです。

 

そしてさらに、私たち自身の考えも

実は批判する側に寄っていることに気付いているからです。 

 

 

 

何が正しいのか、いや言い方を変えて

何が人々にとって良いことなのか・・・・・・・・・・・・・・、その答えが見つかりません。

 

 

 

 

 NHKで渋澤栄一の大河ドラマが放映されています。

翁は、訪欧時に学んだ資本主義の考え方を日本に根付かせた第一人者です。

 

その後、戦争も乗り越え、日本は世界に類を見ない勢いで経済発展しました。

  

資本主義と自由主義は、社会を良くするためのシステムとして

非常に有意義なものとして捉えられているのです。

 

 

ただし現代は、拝金主義がまかり通り、社会を本当に豊かにするものなのか

不明瞭なビジネスも少なくありません。

 

 

基本に立ち返ると、経済発展はあくまで「手段・・」であり、

重要なのは「目的・・」です。

 

「目的」は、その国の人々を豊かにすることであるはずです。

 

 

 ところが昨今は、経済発展自体が目的・・・・・・・・・となってないでしょうか。

 

そのため、「手段」であるビジネスは、

何でも有りで良いという風潮が散見されます。

 

 

 

経済が発展して、どうなるの?

 

 

 

こういう疑問が多くなるのも当然です。 目的と手段、ともに曖昧なのですから。

 

 

 

一体、私たちは、どこに向かうのでしょうか。

 

  

 

現在の状況が、人類にとって望ましい方向であるのなら幸いです。

 

しかし逆に、厳しい状況へと向かっているのなら、

 

果たして私たちには、軌道修正する力があるのでしょうか。

 

 

 

いずれにせよ、最後に残るのは「仁」。

 

いま言えるのは、これだけです。