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COLUMNSブログ「論語と算盤」

先人から学ぶ

2021年11月30日

一鼎の話に、よき手本を似せて精を出し習へば、悪筆も大体の手跡になるなり。奉公人もよき奉公人を手本にしたらば、大体には成るべし。今時よき奉公人の手本がなきなり。夫れゆゑ、手本作りて習ひたるがよし。作り様は、時宜作法一通りは何某、勇気は何某、物言ひは何某、身持正しきは何某、律儀なる事は何某、つゝ切つて胸早くすわる事は何某と、諸人の中にて第一よき所、一事宛持ちたる人の其のよき事計りを選び立つれば、手本が出来るなり。万づの芸能も師匠のよき所は及ばず、悪しきくせを弟子は請取りて似するもの計りにて、何の役にも立たざるなり。時宜よき者に不律儀なる者あり。これを似するに多分時宜は差し置きて、不律儀を似する計りなり。よき所に心附けば、何事もよき手本師匠となる事に候由。

(石田一鼎の話である。習字のさい、よい手本をえらび、これに似せてよく稽古すれば悪筆のものも一応は書けるようになるであろう。

 奉公人も、よい奉公人を手本として、これに似るようつとめれば、大体は似ることができよう。近ごろでは、そのよい手本がないのは困ったものであるが、それには手本を作って見習えばよい。手本の作り方は、礼儀作法一式については誰、勇気は誰、もののいい方は誰、身持の正しいのは誰、律儀な点では誰、いち早く覚悟をきめる点では誰等々というように、人々のそれぞれに持っている第一の長所ばかりをえらび、それを学ぶようにすれば立派な手本ができるものである。

 さまざまな技芸を学ぶときにも、とかく弟子は師匠のよい点は見習わず、悪いところばかりを真似しがちなものであるが、これでは何の役にも立たない。たとえば礼儀正しくとも律儀でない者がいるが、これを見習うのに礼儀正しいところは真似ようとせず、律儀でないところをまねるようなものである。

 長所長所を見つけてはそれを学ぶようにすれば、どのような人も、よい手本、師匠となるものである。)

<出典:「葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>

 

 

自らをどうやって高めるか、処世術の一つとして有益です。

 

 

 自分を成長させるために学ぶべきことはたくさんあります。

 

たとえば朝の挨拶でさえ、どの言葉を使うか、声のトーンは、

また表情は、目線は、それぞれどういうものが良いのか。

 

他者との関係を良くするためのコツを知りたいものです。

 

 

 

 会社組織においては、役職が上がり、

意思決定の重要さが増すに従って、最善の思考と言動が求められます。

 

社長や役員などが下す優れた意思決定、

その能力はどうやって得るのか、同じように振舞うには自分に何が足りないのか。

 

 

 あの判断をしたのはなぜか、何を根拠に決断したのか、

 自分が同じような場面に置かれたら、どう答えるであろうか、

私なら違う対応になってしまうというのであれば、その違いは何か、

 

 

 

いわゆる「判断基準」を習得する必要があります。

 

 

思考の幅を広げること、奥行きの深さをより深く、という試みも必要です。

 

 

 

効果的な方法は・・・

 

 

以前、リーダーシップに関する米国研究者の論文で、納得できたメソッドがあります。

 

それは、見習いたい人物について、

発言の仕方やその量、声の大きさ、表情や振る舞い、

あらゆる言動を真似るというものです。

 

 

 一人の優れた人の真似が終わり、

ある程度近寄れたと感じたら、次の優れた人の真似に移ります。

 

これを何人か繰り返すうちに、良き先人たちの基本的言動が染みつきます。

 

そして、その中でも、自分に合った思考回路、

そこからの発言内容、さらに発言量や表情という

パフォーマンスも染みついて残ります。

 

 

これら自分に残る要素は、

自らの細胞や遺伝子に合ったものであることから、無理した真似とはなりません。

 

それどころか、自然に生じる言動や振る舞いに昇華していくため、

自分自身の人間的スケールの拡大につながるのです。

 

 

 繊細な人は心配するかもしれません。

特定の人を真似ていることが、周囲の人にバレてしまわないか。

 

その心配は無用のようです。誰も気づきません。

それは、真似る対象が、主として内面的要素だからです。

 

なぜここで肯定的な意見を発するのか、

なぜ共感を伝えるのか、などを踏まえた上での真似ですから、

周囲は自然な振る舞いとして感じます。

 

そうでなく、理由や根拠を知らないまま、

ただ表面をなぞるだけの真似であるのなら、

それは空虚で場違いな振る舞いと周囲に映り、

その優れた人物とは全く違う言動になることから、

やはり周囲は気づかないのです。

 

 

 つまり、上手な真似も下手な真似も、

周囲は気づかず、また気にもしないので、

安心して真似ることができるのです。

 

 

以上については、

会社組織における、取締役昇進のトレーニングとして紹介されていました。

 

 

 

 さて、日常生活の中でも、良い振る舞いを身に付けたいと思う場面が多くあります。

   ・子供や年少者から尋ねられたとき

   ・恋人や配偶者から問われたとき

   ・知人やご近所から相談されたとき

 

日ごろからのシミュレーションを行っているかで、

良い対応ができるか、もしくは悪い対応になるかが分かれます。

 

 

 

 過去に、良い人や素敵な人など、多くの見習うべき人に気付いていても、

 そんな人のようになりたいと、ただ思うだけならなれません。

 

自分はそのような人たちに幾ばくも近づいていないと感じたときに初めて、

真似によって学ぶしかないということに気付かされるのです。

 

 

できるだけ早いうち、若いうちが良いですよ。

 

その先に良き日々が続くのですから。

 

 

 

 最後になりますが、昨今はあらゆる場面で危機的状況に直面することが想定されます。

 

無法者による、刃物などの武器を用いた狂乱的ともいえる行為です。

いま、眼前にそういうやからが現れたときにどう対処するか、

いくつか条件の違う場面を想定し、

各々について対処方法をシミュレーションしておいた方が良いでしょう。

 

 

 

 

良き先人を見習い、真似し、自らを高めていきましょう。