有子曰わく、禮の和を用て貴しと爲すは、先王の道も斯を美と爲す。小大之に由れば、行われざる所あり。和を知りて和すれども禮を以て之を節せざれば、亦行うべからざるなり。
(有先生が言われた。礼に於いて和を貴いとするのは、単に私の独断ではない。昔の聖王の道も美しいことだとした。そうかといってすべての人間関係を和一点張りでいこうとすると、うまくいかないことがある。和の貴いことを知って和しても礼(敬謝謙譲等の心)を以て調節しないとこれまたうなくいかないのである。)※有子・・・孔子の門人。孔子より13歳若い。
<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>
(有子が言われた。礼のはたらきは、和であることが貴い。昔の王さまの道も、これでこそ麗しい。大きいことも小さいことも、和にもとづいて行われた。それでもうまく行われないことがある。和だけをわきまえて、和を行おうとしても、礼でしめくくらないと、やはりうまく行われない。)
<出典:「論語」吉田公平著 たちばな出版>
礼とは、敬謝謙譲と説明されているように、敬愛と感謝の気持ち、そして相手を高めて自分を控える様を言うようです。そして和とは、いわゆる和を図ることであり、協調や仲良くすることをさします。
あらゆる場所、家庭、学校、地域、会社、その他組織などにおいて、和と礼が用いられたらどんなに素晴らしいことかと思います。
そのためには、そこに居る一人一人がそのことを理解して望んで実行しないと実現できません。ここが難しいのでしょう。少しでも自己主張や自己中心的な言動が生じると、その素晴らしい場の雰囲気は吹き飛んでしまいかねません。
しかし、だからと言ってあきらめてはいけないと思います。礼と和を重んじる心こそ、日本の素敵な文化であり、大切な伝統でしょう。
そして、利己的ではなく、他己的な考え方や意識こそが、人間であることの特性です。
礼と和を重んじ、それを実践してこそ、人間らしく生きる行為と言えるのではないでしょうか。
このような考え方や振る舞いこそ、大切にしたいですね。