人は当に自ら吾が心を礼拝し、自ら安否を問うべし。吾が心は即ち天の心、我が身は即ち親の身なるを以てなり。是れを天に事うと謂い、是れを終身の孝と謂う。 〔晩録一七七〕
(人は常に自分の心を尊び拝み、それが安らかであるか否かを尋ねるべきである。我が心は即ち天から与えられた心であり、我が身は親から授かった身であるからだ。このように自らの心を礼拝し、その安否を尋ねることを天に仕えるというのであり、生涯を通じての孝というのである。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
人の心は天から与えられたもの
疑いのない真実
ただし、与えられたからと言って好き勝手に扱うのなら、
それは孝でなく、不孝
身体も同じ
自分の心について、「穏やかか、正しいか、清いか、明るいか、素直か」
きちんと確認することが、日々を大切に生きることにつながるのでしょう。
ただ、自分を顧みると反省ばかりです。
若い頃は、漠然としたなりたい自分に向けて行動するだけ。
しかも、それらの中心軸は、欲。
(それも大事でしょうが・・・)
自分の心身を確認、修復するどころか、
親や他人様の親切心さえも煩わしく感じたものです。
「人様の親切はありがたくお受けするということが大切でしょう。
ところが、このお受けするということは、
自己が確立していないとなかなかできないことです。」
<出典:「修身教授録」森信三著 致知出版社>
戒めてくれる言葉です。
年を経るに従って、天を意識することが多くなります。
お天道様が見ているよ
小さい頃、祖母から言われたこの言葉は、私の心に染み入っています。
本当にありがたい教えです。
そして次の言葉も。
人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、己を尽くして人を咎めず、
我が誠の足らざるを尋ぬべし。
~西郷隆盛~
自分の心と身体を自分で選んだ、などという人を見たことはありません。
それはつまり、心と身体は天からの授かりものということ。
天への孝をなすために、自らの心を尊び、丁寧に、大切にせねばなりません。