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COLUMNSブログ「論語と算盤」

天から授かった心

2021年11月16日

人はまさに自ら吾が心を礼拝し、自ら安否を問うべし。吾が心はすなわち天の心、我が身は即ち親の身なるをもってなり。れを天につかうとい、是れを終身の孝と謂う。 〔晩録一七七〕

(人は常に自分の心を尊び拝み、それが安らかであるか否かを尋ねるべきである。我が心は即ち天から与えられた心であり、我が身は親から授かった身であるからだ。このように自らの心を礼拝し、その安否を尋ねることを天に仕えるというのであり、生涯を通じての孝というのである。)

<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>

 

 

 

人の心は天から与えられたもの

 

疑いのない真実

 

 

ただし、与えられたからと言って好き勝手に扱うのなら、

 

それは孝でなく、不孝

 

 

身体も同じ

 

 

 

 

 自分の心について、「穏やかか、正しいか、清いか、明るいか、素直か」

きちんと確認することが、日々を大切に生きることにつながるのでしょう。

 

 

ただ、自分を顧みると反省ばかりです。

 

 

若い頃は、漠然としたなりたい自分に向けて行動するだけ。

 

しかも、それらの中心軸は、欲。

(それも大事でしょうが・・・)

 

 自分の心身を確認、修復するどころか、

親や他人様の親切心さえも煩わしく感じたものです。

 

 

 

  「人様の親切はありがたくお受けするということが大切でしょう。

ところが、このお受けするということは、

自己が確立していないとなかなかできないことです。」

<出典:「修身教授録」森信三著 致知出版社>

 

 

いましめてくれる言葉です。

 

 

 

年を経るに従って、天を意識することが多くなります。

 

 

 

お天道様が見ているよ

 

 

 

小さい頃、祖母から言われたこの言葉は、私の心に染み入っています。

 

本当にありがたい教えです。

 

 

そして次の言葉も。

 

 

人を相手にせず、天を相手にせよ。

天を相手にして、おのれを尽くして人をとがめず、

我が誠の足らざるをたずぬべし。

 

~西郷隆盛~

 

 

 

自分の心と身体を自分で選んだ、などという人を見たことはありません。

 

それはつまり、心と身体は天からの授かりものということ。

 

 

 

 天への孝をなすために、自らの心を尊び、丁寧に、大切にせねばなりません。