定公問う、君、臣を使い、臣、君に事うること、之を如何にせん。孔子對えて曰わく、君、臣を使うに禮を以てし、臣、君に事うるに忠を以てす。〔八佾第三〕
(定公[魯の君主]が先師に尋ねられた。
「君が臣を使い、臣が君に事えるのに、どうすればよいか」
先師が答えられた。
「君は礼を以て臣を使い、臣は忠を以て君に事えれば宜しいと思います」)
<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>
家庭から学校、そして職場や習い事など、あらゆる場面に上下関係が存在します。
そのあり方については、相手を尊ぶ態度で接したいものです。
目上の者が目下に指示などをするとき、「礼」のある態度が求められます。
目下の者を軽んじて、礼など必要ないとするなら、
目下の者も同様に、「単に先に生まれただけでしょ」と、心の中で軽んじます。
こうなってしまうと、組織・集団としての機能が十分に発揮できません。
ちなみに「礼」とは、慣例に基づいた作法や規範のことであり、「聖人(王者)が規定したものであること、内容が天下に一律であること、万人にその内容が行き渡ること、忠孝思想と背馳しないこと」が条件とされています。
(引用元:「儒教入門」土田健次郎著 東京大学出版会)
目下の者についても同様であり、目上の配慮にきちんと対応することが欠かせません。
ただし、盲目的に指示に従うのではなく、異論があれば丁寧に確認することも「忠」の精神でしょう。
目上がきちんと礼をもって接しているのに、
目下の者が「忠」の無い対応を取れば、
目上の心中で間違いなく下層に位置付けられます。
紀元前8千年ごろの農業革命から1800年前後の産業革命を経て今日、
上下関係は常に重視されてきました。
昨今、「礼」、「忠」とは言えないような服装や態度が散見されますが、短期的な現象です。
そう考えられない安易さは、自らを貶めてしまいかねません。
よくよく注意が必要です。
後悔、先に立たず
栄枯盛衰、栄えればやがて枯れ、若さはやがて老います。
歳を重ねたときに、もっと後輩や部下を伸ばせなかったかと、後悔しても始まりません。
若い人は、千載一遇の出会いにきちんと対応できなかったら、自らを恥じ入ることになります。
「遠きをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す」(二宮尊徳)
目上の者、目下の者、ともに良くなるような関係、
皆で心掛け、日本の良い文化を再認識したいものです。