翌日の事は、前晩よりそれぞれ案じ、書附け置かれ候。これも、諸事人より先にはかるべき心得なり。何方へ兼約にて御出での節は、前夜より、向様の事を万事万端、挨拶話、時宜等の事を案じ置かれ候。何方へ御同道申し候時分、御話に何方に参り候時は、先ず亭主の事をよく思入りて行くがよし。和の道なり。礼儀なり。又貴人などより呼ばれ候時、苦労に思うて行けば座附出来ぬものなり。偖々忝なき事かな。さこそ面白かるべきと思い入りて行きたるがよし。〔聞書第一 教訓(前段)〕
(翌日のことは常に前の晩から思案し、書きとめておくのがよい。これも万事、人に先んじて対策を講じる心得である。
殿様は、どこかへお出向きになる際には、前夜から先方のことを調べ、あいさつ、座談の内容までも、よく吟味しておかれたものである。
どこかへ主君のお供をしていく折、またはお話にうかがう折などには、まず、先方のご主人のことをよく頭におき、失礼のないようにすることが礼儀にかない、人の和をはかる道である。
また身分の高い人から招かれた際などに、気苦労に思って出かけていっては、座を楽しくすることはできない。これはこれはありがたい、さぞ楽しいことであろうと思いこんでいくのがよいのである。)
<出典:「葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
社会人として仕事に携わり始めて、かれこれ35年近く経ちました。
初めての職が営業だったせいもあるのか、
上司や先輩から「準備8割だぞ」とよく言われたものです。
他にも、「一を聞いて十を知れ」ということも。
仕事ができると認められたかったので、明日のことや先々の仕事の流れなどを考えながら、仕事そのものに対しては、しっかり準備して臨んできたつもりです。
ただし、対人関係となるとそうはいかず、思い起こすに、準備らしきことさえできていなかったと感じます。
職種柄、相手のことを充分に思った上で接しなくては、なかなか上手くいかないのも当然です。
ただ、周囲を見渡しても、対人関係が上手な人は滅多にいないようです。
やはり、人と人の交わり、人間関係というものへの対処が最も難しいのでしょう。
葉隠が執筆された時代には、人づての情報、アナログの生々しい情報があったでしょうから、相手のお家や藩の現状について、十分配慮した言動を心がけていたのだろうと感じます。
現代は少々事情が変わります。
深い情報は得づらく、初対面となれば、面談する相手の心情まで推し量るのはもはや不可能です。
また、仕事上の面談ならば、得られる情報は相手の業界や組織などの事柄になります。
それらをもとに意見を求めても、受け手側はありきたりと感じるでしょうし、興味を持った対応もしづらいものでしょう。
そんなことより、初対面でも好感を与えられるようになりたいものです。
パッと花が咲くようなイメージを出せるのなら最高ですが、そうでなくとも、明るく前向きな人という受け止め方をしてもらえれば充分です。
どうやら現代は、そのための準備が必要のようです。
準備の内容は人それぞれ、昔の人と同じように、
自らの想像力で、相手の気持ちを慮る工夫が求められます。
何かマニュアルは無いのと問われるかもしれませんが、対人関係においてマニュアルに依存するという意識自体が、相手を慮ろうとする心の無さを表しています。
またさらに、目上の人のお呼ばれに与ったときなども、ありがたいことだと感じながらも、恐る恐るの言動が先に立ち、楽しむような余裕はなかったなと自省します。
これは、招待した相手に疑念を抱かせてしまう可能性もあります。
面談、招待、このような場面はすべて、演出が必要だと感じます。
会う前は相手のことを充分に考え、どう会話を進めていくのか、
それこそ前の晩から入念に準備します。
そして実際に会ったときには、意識して明るさや柔和さ、謙虚さや傾聴を演出するのです。
ある心理学者によれば、人の悩みごとの95%は人間関係だそうです。
かように対人関係は難しいものですが、本当に相手のことを慮った対応が適切にできるのなら、それだけで人生の悩みごとが95%無くなるということでもあります。
「本心で準備し、演出で理想の場面を実現させる」
今後は、もっと深く、幅広く、工夫を加えた準備をしようと思います。