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COLUMNSブログ「論語と算盤」

心の真ん中の道

2021年8月27日

寵辱ちょうじょくおどろくがごとく、大患たいかんたっとぶことごとし。何をか寵辱驚くが若しとふ。寵をじょうし辱をと爲す。これては驚くが若く、之をうしなひては驚くが若し。これを寵辱驚くが若しと謂ふ。何をか大患を貴ぶこと身の若しと謂ふ。われの大患所以ゆえんものは、吾身をとするがためなり。吾身をとするにおよびては、吾なんわずらいらん。ゆえとうとぶに身をもってして天下をおさむる者には、すなわち天下をし。愛するに身を以てして天下を爲むる者には、すなわち以て天下をたくす可し。〔寵辱章第十三〕

(昔から「寵辱驚くが若く、大患を貴ぶこと身の若し」と言う。何を「寵辱驚くが若し」というのか。

寵愛、特別に思われ贔屓にされることを良いこととし、得れば天にも昇る心地になる。

屈辱、馬鹿にされ軽視されることを悪いこととして、そう扱われれば奈落の底に落ちた心地になる。

こうしてわれわれは生きがちである。

 何を「大患を貴ぶこと身の若し」と言うのか。大患とは、名誉や利益を求める欲という大きな患い。これを真に貴ぶべき自身よりも重要だと思うこと。それは身という欲の発生源があるからだ。

したがって無私になり、自分自身も無になれば、自然に患いも無くなるのだ。

 真に人間にとって大切にすべきは何かをよく知った人間になろう。そうした人に天下を預けよう。

 人間の真実の喜びとは何かをよくよく知っている人間になろう。そうした人に天下を任せよう。)

<出典:「ビジネスリーダーのための老子道徳経講義」田口佳史著 致知出版社>

 

 

引き立てられたり、持ち上げられたりすると、自尊心をくすぐられます。

否定されたり、邪魔者扱いされたりすると、落胆し、怨念も生じます。 

 

私たちは、自尊心や名誉という欲のために、往々にして気持ちが乱れます。。

 

 では、寵愛と屈辱を受ける場面を避けながら、

身を潜めるように生きるのが良いのでしょうか。

 

 

私はそうは思いません。

 

 何を大切にすべきか、真の充実とは何かを学びながら、

世に役立っていきたいのです。

 

 

 例え非難されようが、万が一褒められようが、

怯まずに、自らの心を平静に保ちながら、

自分の心の奥底に見える道を歩きたいのです。

 

そのとき必要になるのが、「無私」という心構えでしょう。

 

 

 まずは一場面で、そして徐々にそんな機会を増やしていきたいと感じます。

 

 

 

周囲からの賞賛や非難に一喜一憂するのは自分だけです。

明日になれば、周囲はそのことを忘れているでしょう。

 

 それに対して、翌日もそれ以降も平静でいられないのなら、

そういう自分の姿を他人の目になって眺めてみれば、

その無意味さに気付けるはずです。

 

 

 自らのなすべきことを誠実に果たしていくためにも、

表面的な周囲の評価など気にしていてはなりません。

 

自らのなすべきこと、それは自分の心の真ん中に必ずあるはずです。

その、自分にとっての真実の声に、耳をそばだてて聴きとること。

 

だからこそ、日々、自分自身と対峙する時間を大切にせねばなりません。