人、得意の時は輒ち言語饒く、逆意の時は即ち声色を動かす。皆養の足らざるを見る。〔晩録二一五〕
(人というのは、得意のときは饒舌になり、失意のときは声や顔に心中の動揺が出るものである。これらは皆、修養の足りないことを表している。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
楽しいことやうまくいくことが続くと、人は饒舌になります。
表情も明るくなり、振る舞いさえ軽快になってくるものです。
しかしその後、うまくいかなくなると、途端に不安と焦りを感じます。
動揺し、狼狽え、藁をも縋ろうと右往左往します。
逆境を知らないまま、順調に進む、勝ち続けるというのは本当に怖いことです。
人生には順境と逆境の繰り返しがあり、何度か経験するうちに人間として落ち着いてくるものです。
また、相当に深い逆境であれば、一度で人間が完成されることもあるようです。
社会人になって就職したのち、営業目標が達成できず2~3年ほど苦しんだ時期があります。
一年十二ヶ月のうち、ほとんどが黒星です。
そのとき、表情はこわばり、手負いの野犬のような存在だったように思い出します。
初めて、タナボタ的に目標をクリアしたときも、それまでの自分の姿勢を崩さずに踏ん張るしかありませんでした。
また、三十代半ばには生き方を左右する事態が立て続けに生じましたが、これは人生の節目として印象深い経験でした。
その後も色々ありましたが、徐々に逆境に立ち向かう心構えができてきたように思います。
振り返ると、成人するまでは平穏な時間でした。
青春は、少々下手を打っても明るく乗り越えられるものです。
社会という未知の世界に入り、よもや逃れられない暗闇に放り出されるなど思いもよりませんでした。
しかしこれが普通、逆境に直面したり苦悩に苛まれたりするような事態は自然なことだと気づきます。
そしてこれらの経験が、私自身を鍛えてくれたものと、いま、感じます。
地べたに這いつくばって目を凝らして世を見る
高い位置から見ていては大事なものは見えない
幸運不運、幸不幸、いかなることも起こり得る
何があっても揺るがず、たじろがず、進むこと
六然 (崔後渠)
自處超然(自ら処すること超然)
自分自身に関してはいっこう物に囚われないようにする。
處人藹然(人に処すること藹然)
人に接して相手を楽しませ心地良くさせる。
有事斬然(有事には斬然)
事があるときはぐずぐずしないで活発にやる。
無事澄然(無事には澄然)
事なきときは水のように澄んだ気でおる。
得意澹然(得意には澹然)
得意なときは淡々とあっさりしておる。
失意泰然(失意には泰然)
失意のときには泰然自若としておる。
かくあらねばなりません。