人情の識有り、物理の識有り、事体の識有り、事勢の識有り、事変の識有り、精細の識有り、濶大の識有り。此れ皆兼ぬべからざるなり。而して事変の識は難しと為す、濶大の識は貴しと為す。〔事勢〕
(事勢の識。問題や事件というものは千変万化してやまないエネルギーを持っておって、決して静止したものではない。機械的・論理的に動くものではない。そういう意味においては時勢である。その微妙なエネルギーの動きをとらえる見識が事勢の識であります。)
<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>
微妙な動き
それは “ 兆し ” です
日頃から兆しを気にしていますか。
どうやら調子が良いとき、逆に慎重さを心掛け、周囲の変化を確認したいものです。
一方、どうやら調子が悪いとき、兆しを見出そうとするより、自らの力を高めることで浮かび上がろうとします。
それによって自力が高まることは悪いことではありません。
しかし、浮かび上がるときというのは、自力で得るというより、ほとんどの場合ちょっとしたご縁のおかげや、些細なきっかけであったりするものです。
どうやら調子が悪いときというのは、それ自体が “ 兆し ” なのでしょう。
“ 兆し ” は、事の後から、そういえばあんなことがあったなと気づくことが多いものです。
自分の周囲のわずかな変化についてさえ、一つの兆しとして客観的に捉えられれば、安らかな心の状態を維持できるのではないでしょうか。
東洋古典の『易経』は、“ 時 ” と “ 兆し ” の専門書と言われています。
大空を舞う龍の成長を例えに、時と兆しを見極める人生発展のコツが示されています。
潜龍、見龍、君子終日乾乾す、躍龍、飛龍、亢龍という六段階において、特に躍龍の段階では、“ 時 ” と “ 兆し ” を見極める「観る力」を養うときとされています。
次の飛龍になる時が満ちているのか、正しく判断しないと地に落ちてしまうのです。
そして首尾よく飛龍になったとして、大きな仕事を成し遂げた後、亢龍に下る最終段階を迎えます。
もしも飛龍で驕り高ぶる者であるなら、すぐに亢龍へと進みそのまま消え去ります。
亢龍では、洞察力が衰え、時と兆しが見極められなくなるのです。
しかし、亢龍には亢龍の大切な役割があります。
よって、何もかもがうまくゆく飛龍の段階でも驕り高ぶることなく、緩やかに、徐々に亢龍の段階に向かうよう、慎重に事に対処することが肝要です。
<参考:『人生に生かす易経』竹村亞希子著 致知出版社>
天の行いである天道
それだけを待っていては
人が生き延びることは困難です
天の理を認識した上で
人道において生きていくこと
そして成長していかねばなりません
成長とは
ひとり一人の人間学の高まりです
天道に沿う人道を行い
成長し続けるには
“ 兆し ” を捉えることが肝要です。