奉公仕り候時分は、内証事支への事共何とも存ぜず候。若し餓ゑ申し候時節は、御側の衆へも御前へも申上げ、江副兵部左衛門(注:直茂に仕えた)が如く、拝領仕るべくと存じ居り候。先年、京都より罷下り、又罷登り候時分、年寄衆へ、「拙者事久しく在京仕り候に付て、内証差支え申し候。上方罷立ち候時分、引懸りなど候ては御外聞宜しからざる事に候。御詮議なされ下さるべく候。全く私慾にてこれなく、御用にて在京仕る事に候故申上げ候」由申し候に付て、則ち御前へも申上げられ、銀子拝領致し候。又病気にて服薬仕りながら相詰め居り候時分、医師より、「人参用ひ候様に。」と申され候へども、手支へゆゑ相叶はず候処、諸岡彦右衛門聞付け、「神右衛門殿用の人参は、御用の内より何程にても相渡すべく候間、用捨なく御用ひ候様に。」と申され、少しも遠慮仕らず請取り申し候。彦右衛門申され候は、「御自分方は、殿様御精に入られ候御用、相調へ申す人に候へば、人参など何程遣はし候ても苦しからず。」と申され候。総じて奉公人は、何もかも、根から、ぐわらりと主人に打任かすれば済むものなり。隔て候故、むつかしくなるなりと。〔聞書第二 教訓〕
(自分(常朝)がご奉公をしていた時分には、家計が苦しくなることなど何とも思わずにいたものである。もし、飢えるようなことがあれば、側近の方々にでも、また殿様にでも申しあげて、江副兵部左衛門などがしたように拝領すればよいと考えておった。
先ごろ、京都との間を往復した折、年寄衆に「私は久しく在京しておりましたので、家計が逼迫しております。上方から出発する折に、借金などあっては、お家の名誉にもかかわることですので、ご検討いただきたい。私欲から申し上げるのではなく、お役目で在京している上のことですから、申しあげるのです」と申したところ、殿様にもお伝えいただき銀子を拝領した。
また、病気の治療中、医師より「人参を用いるように」といわれたが、家計が苦しく、求めることができないでいたのを、諸岡彦右衛門殿が聞きつけ「神右衛門殿の用いられる人参は、公用のものを、いくらでもお渡しする故、遠慮なくご使用いただきたい」といわれたので、遠慮なく頂戴した。
彦右衛門殿は「あなたさまは、殿様が励んでおられるご用を、お助けする方なのであるから、人参などはどれほど差上げてもかまいませぬ」といわれた。
すべて奉公人は、何もかも、すっかりとご主人にまかせてしまえばすむもの、なまじ遠慮などすると、かえってむずかしくなるものである。)
<出典:「葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
会社組織に勤める人なら気になったことがあるでしょう。
業務に必要な費用と考えられるが
会社のお金を自分の判断で使って良いものか。
そう、社員が一所懸命働いて貯めてきたお金を。
ここで思考はふた手に分岐します。
一つは、客観的にみてこの事象は少なからず生じるであろうから
客観性を持たせた穏便な内容で会社に申請し
他者から文句が出ないようにしておこう
既存の枠に収まるように対処しようという考え。
もう一つは、会社にとって必要な事柄、
なすべき取り組みであり
費用をかけてでも遂行すべきであるという考え。
前者が外的環境の影響を避けようとする
受動的な思考であるのに対し
後者は主体性ある能動的な思考です。
お客様を接待する場面を考えます。
大事なお客様ということで
積極的に高級なお店を選ぶと
自分が行きたいからじゃないのかと
勘ぐられ批判されかねない。
ほどほどのレベルの店にしておけば
会社内の自分の面子がつぶれることはない。
しかしこれでは、会社にとって大切なお客様を接待するという本来の目的から逸脱しています。
本来の目的よりも、自己保全に走っている情況です。
このような邪な思いが表れるのは、
自らの心が浮遊しているからです。
仕事への忠誠心が甘く
私心が混ざり込んでいます。
上司たる者としては
これを見逃してはいけません。
会社にとってこのお客様がどれだけ、どのように重要かを明確に捉えた上で、今回の接待の目的を明らかにし、それに相応しい場を選択するのが本筋です。
私心を無くせば
本来の対応を行う以外に
とるべき道はありません
一方組織は、自らの理念や使命のためであれば、必要な資金は投入すべきです。
常に理念や使命という目的が主
お金は従です。
私心があれば
この主従が逆転
つまり本末転倒となります。
“ 大学 ”ではこのことを強く諫めています。
徳は本なり。財は末なり。
本を外にして末を内にすれば
民を爭わしめて奪うことを施す。
(徳が本で財が末である。
本である徳をおろそかにして、末である財を重んずれば、遂には民を争わせて奪い合うことを勧めることになる。)
目的や徳が重視されない組織は
社員間の出世争いや私心のぶつかり合い
奪い合いなどが生じ
やがて瓦解することになります。
たとえ一円であろうとも
明確な意志と目的をもって投じることです。