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COLUMNSブログ「論語と算盤」

仁の美

2021年10月5日

のたまわく、じんるをす。えらびて仁にらずんば、いずくんぞなるをん。〔里仁第四〕

(先師が言われた。「仁に行いのよりどころを持つのが美わしい。

 択んで仁によらなければ、どうして知者といえようか」)

<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>

 

 

  「仁」は君子にとって極めて重要な要素であり、

「仁」をよりどころにした言動が望ましいとしています。

 

 「論語」(吉田公平著 タチバナ教養文庫)では、「里」を人里とし、人里は仁の気風があるところが素晴らしいと訳しています。

 

 

ここで、「仁」とは何かを理解することが必要になります。

 

 「儒教入門」(土田健次郎著 東京大学出版会)によると、もとは外見の見栄えの良さのことを言っていたようですが、それを孔子が内面化したとしています。

 

 それによると、仁とは「自分の心内の欲求を自覚し、それを基にして他者の心中を思いやること」であり、探求すべき対象というより、即座に実践が求められる性格のものであることから、定義づけはなされていません。

 

 

 いずれにせよ、「仁」を行動のよりどころに置かないことや、「仁」の気風がある里を自分の住む場所に選ばないのなら、それは知恵者とは言えないというわけです。

 

 

     「仁」をよりどころにした振る舞いは、どうすればできるのでしょう?

     「仁」の気風がある里は、どうやって見極めれば良いのでしょう?

 

 

仁は「他者の心中を思いやる」ことですから、

相手の心中を思いやり、自分に置き換えて考えて、

愛情のある対応をすることと考えます。

 

 

 そうすると、どんな場面でも仁を実践する機会があると感じます。

 

例えば、家族やご近所との朝夕の挨拶、会社や寄り合いにおける声掛け、店舗や飲食店での店員さんへのお礼など、何気ない簡単な接触の中にこそ、「仁」の実践の入り口があるのでしょう。

 

 

「仁」の実践は、相手への思いやりを心がけることが第一歩と言えます。

そして、そんな気風のある場所に住むことが望ましいのでしょう。

 

 

「仁」の実践では、周囲の目は気にかけないようにしましょう。

 

   他者と比較する相対的な思考ではなく、

自分自身がどうあるべきかという絶対的思考で行動すれば、

同じ考えの人が現れ、支えになってくれるはずです。

 

孔子は言います。

とくならず、必ずとなりり。」

 

 

 

あなたにとって、心がけたい「仁」の振る舞いはどういうものでしょう。

 

 

挨拶、声掛け、お礼というシンプルな行動を意識して増やしてみたいと思います。