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COLUMNSブログ「論語と算盤」

感動とは

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2026年3月20日

せいりてしょうく。三月さんがつ、肉の味を知らず。のたまわく、はからざりき、がくすことのここいたらんとは。

(先師が斉の国で韶の音楽を楽しまれて三月の間、好きな肉の味もおわかりにならない程だった。

 そうして言われた「音楽がこれほどまでにすばらしいものとは思いもよらなかった」)

<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>

 

 

 

 

孔子は

訪れた齊の国で

音楽に大きく感動したとのこと

 

それは

好物である肉の味さえ忘れるほど

 

 

 

このときの孔子の年齢は、数え年で三十六歳といわれています。

 

三十代半ばの年齢で、このような感動する体験はありましたか。

 

私は会社員をやめ、独立という道に進んでいたときだったので、何かに感動するというような心境ではありませんでした。

 

その後についても、食事の味がわからないほどの大きな感動というのは、ほとんどなかったという記憶です。

 

 

 

生涯で、音楽に夢中になったのは、思春期から二十歳過ぎまでの間です。

 

このあたりの年代は多感なので、音楽に限らず絵画や彫刻などの芸術に、人生観が変わるような体験をした人が多いのではないでしょうか。

 

寝ても覚めても一つの作品が頭から離れないという状況は、その人の成長を促すに留まらず、その人を取り巻く外部環境の捉え方さえ変えてしまうほどの影響力を持っていると感じます。

 

 

 

孔子は、生まれてからずっとの国に住んでいました。

 

しかしこのころ、魯で内乱が発生したため、君主と共に斉に逃れてきたのです。

 

その心境はどのようなものだったのでしょう。

 

 

その齊で初めて、伝説上での聖帝である舜が作ったとされる「韶」という楽曲に触れ、大きな感動を与えられたのです。

 

この体験は、その後の孔子の生き方、考え方に相当の影響を与えたのではないかと感じます。

 

 

 

 

歳を重ねても

素直に感動できる心を持ちたいもの

 

そのためには

自身の「心の成長」に気を配り

そして得られた感動から

さらに心を成長させていく

そういう意識をもつことが大切なのでしょう

 

これもまた

自身を磨く取り組みの一つと思います