学に志すの士は、当に自ら己を頼むべし。人の熱に因ること勿れ。淮南子に曰く、「火を乞うは、燧※を取るに若かず。汲を寄するは、井を鑿つに若かず」と。己れを頼むを謂うなり〔耋一七〕
(学問に志そうとする者は、自分の力に頼るべきである。他人の助けを借りるようではいけない。
『淮南子』に「火を他人に乞うてもらうより、自分で火打ち石を打って火をおこしたほうがいい。他人の汲んだ水をもらうより、自分で井戸を掘った方がいい」とある。これは自分を頼りにせよという意味である。
※燧-火打ち石。
<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
何事も自分の頭で考える
正解を与えられると、考える過程を体験できません。
すると思考実験ができず、指示された通りのことしかできなくなります。
幼い頃から学問を積むことは重要なことですが、その勘所はまさに自分で考えて答えを出すという力が育まれるか否かです。
受験戦争は年々苛烈になっているようですが、肝心要となるこの勘所をおざなりしていては、まさに逆効果となります。
成長して大人になっても正解を求めようと既知の情報を漁るだけ、つまり想像して創造することができなくなります。
日常生活も反復の繰り返し作業に埋め尽くされ、年齢を重ねるごとに徐々に身動きができなくなってきます。
ただ、社会全体がある特定の分野に向かっているときは逆に効果的な一面もあります。
例えば、高度経済成長の時代はまさにうってつけです。
AとBを組み合わせた後、次工程に受け渡すという決まったやり方、これを早くミスなくやりとげる力が重用されるからです。
このように、モノの扱いでは効果を発揮しますが、人間関係ではそうはいきません。
高度経済成長が終った後、マネジメントの面でも正解を求めるような機運が高まりました。
しかしそれは、ほとんど過去の事例を振り返ることに留まっています。
要するに、何か事が生じたときに無難に対処するだけの知識であり、その事態をプラスに転換させて活かすような〝 知恵 〟とは一線を画します。
例えば、経済や経営に関する “ お勉強 ” をしてきた人たちがしかるべき地位についても、往々にして何も変わらないということが証明しているようです。
正解とされた、オーソライズされた理論に縛られたまま、新しい策や大胆な取り組みが怖くてできないのです。
経済や経営に関する人的対応面の知識は、ほとんど役に立たないことが徐々に明らかになってきています。
量子力学によると
観測することで初めて
実態が明らかになるとのこと
そして認識が改められ
状況も変化し始めます
世界的に広がった
経済一辺倒の観念は
早晩姿を変えるでしょう
考える力
哲学的な能力
それが求められる時代に
移行していく可能性が高まっています