不交三学友 何遊七覚林 〔實語教〕
三学の友に交らずんば、何ぞ七覚の林に遊ばん。
(意訳:三学の修業ができなければ、七覚の段階に入っても悟りを開くことはできない。)
<参考書籍:『實語教童子教 改版』馬喰町 錦耕堂山口屋藤兵衛板 解説>
本質的に力強い言葉です。
三学と七覚は、次のような意味です。
三学
仏教を修行するときの最も基本的な内容であり、戒学、定学、慧学の三つ。
戒は、身心の悪い行いを抑制して良い行いを習慣づけること、定は、心の動きを静め、乱れない心を育てて精神を統一すること、慧は、世の道理についてありのままに気付くこと。
三つに順列などなく、一つは他の二つを伴って完成されるもの。
七覚
仏教で、悟りを得るために心を整える七段階の事柄。
択法覚支:物事を正しく見極めること
精進覚支:精進し、努力すること
喜覚支:真実に生きる喜びを感じ取ること
軽安覚支:心身が軽やかで落ち着くこと
捨覚支:執着を捨てること、喜怒哀楽に煩わされないこと
定 覚支:心を乱さず一点に集中すること
念覚支:智恵を念ずること
三学を習得してこそ、七覚の域に入ることができるという意味ですが、その三学の中身もそれぞれが広く深く、常に意識しておかねば得られることはできないでしょう。
一方で、三学の内容は、仏教徒のみならず、私たちが当然のように体得しなければならない、生きる姿勢だと気づかされます。
七覚で最も嬉しく思うのは、真実に生きる喜びを感じ取ること、つまり喜覚支です。
経済学者のジョン・メイナード・ケインズによると、人間の幸せとは、愛する人を愛しているとき、美しいものを鑑賞しているとき、そして真実を探求しているときの三つであるとしています。
全ての人がこの三つの幸せを得るには一定の富が必要であり、そのために政府は適切な経済政策を打ち出して、自国に富を生じさせることが求められるとしたわけです。
もう一つ嬉しく思うのは、捨覚支です。
執着を捨て、喜怒哀楽に振り回されないこと。
常に安定した心の状態を維持するように、自らの意思でコントロールしてくことが必要と感じます。
今日の言葉は
人としての心掛け
そして生きていく姿勢
改めて教えてくれているようです