雖會師不学 徒如向市人 〔實語教〕
師に会うといえども学ばざれば、徒に市人に向うが如し。
(意訳:よき師と出会えても、学ばなければ、単に一般の人との交流と何ら変わりはない)
<参考書籍:『實語教童子教 改版』馬喰町 錦耕堂山口屋藤兵衛板 解説>
すばらしい師
そう思える人に
出会ったことはありますか
私は、社会に出てからそのような師、人物に巡り会えたと感謝しています。
残念ながら成人以前には、そのような師に出会ったという実感がありません。
これは単なる巡り合わせなのでしょうか
否
そうではないでしょう
成人前と成人後では、明らかに私の思いは違っていました。
成人前は、単なる機械的な学習を求められ、人としていかに生きるかというような哲学的領域に触れることはほぼ皆無でした。
何かに〝 餓えて 〟いる
そんな状態ではありませんでした
既知の知識を供与され
それを脳みそで食す
これの繰り返し
この作業に何の意味があるのか
成績を上げるため
有名学校に入るため
大会社に入るため
そのために
優れた吸収力を持つ
この若い年代の時間をつぎ込む
その虚しさ
厭世的に聞こえるかもしれませんが、間違いなく、こういう学校教育について、その意義が感じられていなかったのです。
成人し、やっと社会に出られたとき、人生の景色は全く変わりました。
生き様で勝負するという憧れの土俵に上がることができたという、ワクワクした気持ちが思い出されます。
持っている知力と体力
全てをぶつけて燃え続けたい
人生の醍醐味は
通り一遍の教育体系の延長線とは
違う次元にあるはず
それを味わなければ
この生に意味はない
どうすればいいのだ
〝 餓えて 〟いました
〝 師 〟と
〝 教え 〟に
〝 餓えて 〟いたからこそ
師である人物に出会えたのでしょう
現代、ほとんどの人が何かしらに〝 餓えて 〟いるとは思えません。
もちろん、行政からの施しを享受することしかできない人もいるでしょう。
しかし、そうでない人は、さらなる高みを目指すべきです。
この社会をどうするのか
この世界をいかに平和にするのか
人々の心、道徳心をどう形作っていくのか
自分は中流かそれ以上などという、さもしいレベルではなく、次世代、次世紀を見据えたとき、持ち得る知恵と手段で、より望ましい人間社会を創造していかねばならないはずです。
その高みを実現するには
〝 餓える 〟ことが必要
そのためには
見えないフリをしている
真の問題
そのことに
真正面から対峙するしかありません
〝 餓え 〟を感じ続けること
〝 餓えて 〟こそ
〝 師 〟とその〝 教え 〟に
出会うことができるのですから