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COLUMNSブログ「論語と算盤」

人の道を生きる

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2026年4月7日

冉有ぜんゆうわく、ふうえいきみたすけんか。こうく、だく吾將われまさこれわんとす。りてわく、はくしゅくせい何人なにびとぞや。のたまわく、いにしえ賢人けんじんなり。わく、うらみたるか。のたまわく、じんを求めて仁をたり。又何またなにをか怨みん。でてわく、夫子は爲けざるなり。〔述而第七〕

(冉有が言った。「先生は衛君を助けられるだろうか」

 子貢が言った。「よろしい。私が先生に尋ねてみよう」

 子貢は先生の部屋に入って尋ねた。「伯夷、叔斉はどういう人物でしょうか」

 先師が答えられた。「昔の賢人だ」

 子貢が尋ねた。「自分たちのやったことを後悔したでしょうか」

 先師が言われた。「仁を求めて仁を得たのであるから、何を後悔することがあろうか」

 子貢は、部屋を出て冉有に言った。「先生は助けないよ」)

<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>

 

 

 

 

欲にまみれた者の愚かな姿

 

筋を通して生きた人の姿

 

どちらを選ぶかは明らか

 

 

 

今日の言葉を理解するには、当時の背景を知る必要があるので、「NPO法人 論語普及会」宮武清寛氏のブログを参考に説明します。

※ https://ameblo.jp/miyatake-yagikensetsu/entry-12629712550.html

 

 

衛の霊公れいこうと夫人のなん、この二人の子、聵蒯かいかい

 

南子は極めて素行不良であり、聵蒯は暗殺を企てるが失敗、追放の目に遭ってしんの国に亡命する。

 

その後霊公が他界し、霊公の孫、つまり聵蒯の子であるちょうが後を継ぐ。

 

これを知った聵蒯が、自分が後継ぎになろうと晋の力を借りて衛に攻め入り、自分の子である輒と争うことになる。

 

 

 

孔子とその門人は

当時衛に滞在していました

 

孔子ははたして

輒を助けるように動くのか

これが門人冉有の問いです

 

 

 

子貢が孔子に尋ねたのは、はくしゅくせいという兄弟の話。

 

謙虚なこの兄弟は、父が統制していた国の跡継ぎをお互いに譲り合い、最後にはその身分を捨ててしまう。

 

そして二人がしゅうに亡命する途中、周のおうが暴君として名高いちゅうおうを討伐してしまう。

 

暴君とは言え、家臣が君主を討つのは義に反するということから、二人は首陽山に籠り山菜を食って凌いでいたものの、結局餓死する。

 

 

 

孔子は、この兄弟の生き様を大切に思っていることがわかります。

 

このことから子貢は、稚拙な親子ゲンカで国民を困窮させている衛国の父子を、孔子は軽蔑しているということを理解するのです。

 

 

子である輒は、一旦父に譲れば、やがては自分がその跡継ぎになるわけです。

 

また父である聵蒯は、輒を説得するなり、後方支援に回るなりすることで、平和的に衛国を治めることができるわけです。

 

 

二人ともそうはせず、国民の生活を無視しながら我欲を通そうと争い続けるのです。

 

 

 

人の道を外れた行動をとる衛の親子、聵蒯と輒の争いに、先生(孔子)は関与しないと子貢は認識し、冉有に答えたのです。

 

 

 

子貢は、対象となる聵蒯と輒を取り上げることなく、孔子の真意(価値観、判断基準)を知るためにと、伯夷と叔斉の話から回答を導き出しました。

 

また孔子も、そのような子貢の高い視座を感じ取った上で答えているようです。

 

 

 

望ましい生き方

それを改めて認識し直すことで

自らの進む道が見えてくる

 

眼前の現象に踊らされることなく

人としての道を歩んでいく

 

その大切さを感じさせます