康誥に曰わく、赤子を保んずるが如しと。心誠に之を求めば、中らずと雖も遠からず、未だ子を養うを學びて后嫁ぐ者有らざるなり。
(康誥(書経の一篇)に「赤子を育てるようなものだ」とあるが、国を治めるに当り一心になって政治に携わるならば、真中に的中しなくとも大きく間違うことはない。それはまだわが子を育てることを充分経験してから嫁ぐ者が無いようなものだ。三綱領の親民の例証と見るべきである。)
<出典:『『大学』を素読する』伊與田覺著 致知出版社>
家を齊えてこそ
国を治めることができる
この意味を比喩的に表現しています。
家においては赤子を育てるようなもの
国においては良い政を行うということ
ともに、一所懸命、教科書の無い中、どうすれば良いか、自ら考えながら取り組んでいかねばなりません。
ただし
〝 誠の心 〟で真剣に取り組めば
大きく外すことはない
当然ながら
格物、致知、誠意、正心、修身という
八条目の前段を正しく経てきたこと
そのことによってこそのことです
私には、すでに成人して結婚している娘がおり、さらには孫も授かっています。
有り難きことと、感謝するしかありません。
しかし、共働きの娘夫婦を見ていると、一人の子供を育てていくことは、本当に大変なことと感じます。
私の妻は、出産前に専業主婦になってくれたため比較的子育てに余裕があった方でしょう。
それでも、仕事から早く帰宅して赤子を風呂に入れ、寝るまであやすのは私の役割。
その間、妻は別の家事を行うわけであり、やはりゆっくり過ごす日常からは縁遠くなっていきます。
反面、幼子が段々と成長し、歩き始めたり片言をしゃべったりし始めたりすると嬉しくて仕方なく、掛け替えのない大きな喜びの記憶として残っていくものです。
誰に指示されるわけでもなく
子育てに夢中になっていく
どうすれば泣き止むのか
どうすれば笑ってくれるのか
親は、日々試行錯誤しながら、子供を育てていきます。
子育てが大変なように、政も大変困難なものです。
ともに暗中模索しながら、より良い手当、施策を考えて実行していくしかありません。
その拠り所が〝 誠の心 〟
今日よりも良い明日を求めていこうとする信念です。
また
この〝 誠の心 〟で求めていくこととは
人生における全ての局面に通づることでしょう
赤子と一体になる
国民と一体になる
幸せを願って一体になることが肝要
三綱領の
〝 親民 〟(民に親しむ)
民と一体になって
〝 誠の心 〟で
一心不乱に政を為す
それによって初めて
国を治めることができるわけです
<参考:『『大学』を味読する 己を修め人を治める道』伊與田覺著 致知出版社>