困心衡慮は智慧を発揮し、暖飽安逸は思慮を埋没す。猶お之れ苦種は薬を成し、甘品は毒を成すがごとし。〔耋三一〕
(心を苦しめ思い悩むことがあると本当の智慧が働くようになり、何も不自由のない安楽な生活をしていると考え判断する力が埋もれてしまう。これは苦いものが薬となり、甘いものが毒になるようなものである。)
※衡慮 - 衡は秤の横棒で思うことが横になる。つまり思い悩むこと。
<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
安楽な日常では、放っておけば好き放題に揺れ動く感情、そして当てにならない感覚、この両者に振り回されることになり、思考力や判断力は緩く甘くなります。
しかし、周囲をより良くしようとしている人、社会的な問題を解決しようとしている人、使命を感じている人、こんな人達は常に考えが広く深く、智恵を生み出して生かそうと挑戦しています。
人として輝いているのは
間違いなく後者
今の日本は豊かなのでしょう。
ただし一方で、精神的な問題を抱えている人も少なくありません。
それに対して、戦後の日本は貧しく、生きていくのに精一杯でした。
人々は死にもの狂いで生きていましたが、反面、精神的な問題は少なかったのではと思われます。
苦しいときこそ智恵が働き
楽なときには退化していく
誰が良くて誰が悪いということではなく、社会全体の流れというか様相なのでしょう。
ただし私は
上述したように
使命を探り見つけ出し
その使命を
自分事として考えて
行動し続ける人こそ
充実した人生を送ることができ
苦悩を伴いながらも幸福なのだと考えます
なぜなら
私がそうなりたいから
苦しみ悩みながら生み出す知恵は、必ず〝 善 〟でなければなりません。
しかも、可能な限り広い意味での〝 善 〟であること。
善と悪は、動機と手法によって判別されます。
少人数では〝 善 〟の動機と手法であっても、より多くの人からするとそうでなくなるかもしれません。
部分的な最適状態と全体的な最適状態とは必ずしも一致しませんが、だからといって、ある地域、ある国だけの〝 善 〟を考えてはいけないというのは、人々の思考と生きる力を劣化させることになるでしょう。
君子は和して同ぜず
小人は同じて和せず
(論語 子路第十三)
思うに
一人ひとりが
天の使命を感じ取り
徒党などを組むことなく
ただ一人でその道を進んでゆく
それが知恵を生み
自ずと善が広がることで
豊かな人生を生み出すことに
つながっていくのではないでしょうか