曽子曰わく、十目の視る所、十手の指さす所、其れ嚴なるかな。富は屋を潤し、徳は身を潤す。心廣く體胖かなり。故に君子は必ず其の意を誠にす。
(孔子の高弟曽子が「多くの人が注目するところ、多くの人が指摘するところは厳正だなあ」と言われた。
富は家をうるおし徳は身をうるおす。従って心は廣く、体ものびのびとする。故に君子は必ず自分の意識や感情を正常にするように努める。)
※富と徳を具有することを両潤と言い、両潤庵や両潤軒等家の雅号に使われることが多い。
<出典:『『大学』を素読する』伊與田覺著 致知出版社>
多くの人が見つめるもの
それは厳正であるとのこと
例えば人
ある国の宰相が決まると、外国の人々は、通常なぜその人が選ばれたのかわかりません。
しかしその国においては、多くの賛同があったから選ばれたわけです。
これは、民主主義としての多数決に繋がります。
その人には、善の面もあれば不善の面もあるでしょう。
不善の面に注目が集まれば、その人はやがて失脚します。
ただし、独裁的な権力を有していれば、自らの地位を守っていくかもしれません。
しかしながら、多数から批判され続けることになれば、その命運はそこまでです。
物や現象に対しても、人は注目します。
便益あるいは不利益となる物や現象に対して、人は注目します。
それを手に入れるか排除するか、何らかの対処を行います。
他方、自らに直接的に便益や不利益がふりかからない物や現象に対してさえ、人は注目することがあります。
代表的なものは、他者の言動によって注目させられてしまう場合です。
幸せであること、裕福であること、成功したことを自慢したいがための物や振る舞いであれば、自分も同じものを所有しようとか、同じような振る舞いをしようなどと、憧れる人物に同化しようとする行動です。
このような、大多数の興味関心から離れた位置にいるのが君子のはずです。
しかしながら、“ 無視 ” してはいけないということです。
また、富は屋を潤すとありますが、徳を本においてこそ、末に財を得ることが王道となります。
『大学』の終盤には、徳をもってして、いかに財を得るかの “ 大道 ” が示されています。
そして、徳が身を潤し心から豊かになるのは当然のこと
君子は、徳を高めて身を潤し、その徳で財を得、平らかな天下国家を創る仕事へと進んでいくのです。
よって君子は
自らの意を
誠にすることが
不可欠ということです
<参考:『『大学』を味読する 己を修め人を治める道』伊與田覺著 致知出版社>