士に三不顧有り。行道済時の人は身を愛するを顧み得ず。富貴利達の人は徳を愛するを顧み得ず。身を全うし害を遠ざかる人は天下を愛するを顧み得ず。〔品藻〕
(支配階級の人間に三つの顧みざることがある。道を行い時世を済う人はわが身のことなど顧みておる暇がない。金儲けや立身出世を事とする人は(その方に夢中になって)徳を愛することなど一向顧みない。(安全第一主義で)わが身を全うし害から遠ざかろうとする人は天下を愛することができない。)
<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>
道を行う人
支配階級の層のうち、どれか一つを選べと言われれば、この人を選ぶことに異論はないでしょう。
この世を良くしようと尽くしていく人であり、自分のことなど二の次、三の次。
本来であれば、その道徳心をさらに磨き上げて、より一層この社会を良くするための働きに期待したいところですが、わが身を顧みないということから短命に終わってしまうことも仕方ないことかもしれません。
金儲けを望む人
この人の格は相当に下がってしまいます。
〝三流は死んで財を残し
二流は死んで名を残し
一流は死んで人、事業を残す〟
この言葉からも、軽視されるべき典型的な人物でしょう。
きちんと世の仕事を行い、死んだ後に財が残っていたというのならまだしもです。
そうではなく、いかに生きるかという人生の目的を果たすための時間を、死んだらご和算になる財作りに費やしたというのなら哀れ、気の毒です。
害から遠ざかる人
この種の人は、支配層として最も役に立たない人物です。
例えば、親の七光りか何かで一定の地位についたものの、世に貢献することなく、譲り受けた〝知〟と〝財〟を自分の身の安全に費やすだけ。
世の不条理から逃げ、ぬるま湯を求め続ける姿勢であるのなら、早々に支配層からは下りて市井の生活からやり直すことでしか、本人を救う道はないでしょう。
支配階級でない一般の人はどうか
思うに、これら三つの型それぞれを持ち合わせているのではないでしょうか。
これらの要素をバランスよく保ち、その力を発現させることで、幸福を得ている人も少なからずいます。
支配層は、そのための反面教師なのかもしれません。
そしてまた、その国の国民の姿を映し出す鏡となっているのでしょう。
いずれにせよ
〝 道を行う人 〟
これこそが望まれる指導者
このことに疑う余地はなく
そして間違いないこと
真心
人は金銭のためでなく、名誉のためでなく、権勢欲のためでもなく、真心によって突き動かされたときにこそ、どんな困難にも負けることなく、最大の力を発揮して立ち向かうことができる。
<出所:『稲盛和夫一日一言』稲盛和夫著 致知出版社>