人を観るに括して以て五品とす。高・正・雑・庸・下。独行奇識あるは高品と曰ふ。賢智者流なり。中を択び、執る有るは正品なり。聖賢者流なり。善有り過有るは雑品と曰ふ。勤懲用ふべし。短無く長無きは庸品と曰ふ。世用に益なし。邪と偽との二種は下品と曰ふ。慎みて之を用ふる無かれ。〔品藻〕
(人を観察するのに総括して五種の人柄がある。すなわち高品―高尚な品、正品―正直な品、雑品―まじった品(雑は襍と書いてもよろしい)、庸品―平々凡々の品、下品―下劣な品、この五品目である。自立自由にしてちょっと俗物と違った識(是非善悪を識別する知恵)を持っておるのは高品という。これは賢明で知恵のある人の仲間である。(物事に偏しないで)中道を択び、(時流を逐うてあっちこっち動くようなことをしないで)毅然として執るところがある―定見を持っておるというのは正品である。これは聖賢の仲間である。善いところもあるが過もあるというのは雑品という。こういう人間は善を勤め悪を懲して、つまり賞罰を行って用いるがよい。短所もなければ長所もないというのは庸品という。これは世の中の役に立たない。邪と偽との二種は下品という。こういう人間はよく慎んで用いてはいけない)
<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>
著者の安岡師曰く
〝 実に辛辣 〟とのこと
〝 高品 〟は最上の人柄なのでしょう。
自立自由
普通とは違った知恵で
識別ができる人
賢明で
知恵のある人
自分も当てはまる部分があると感じるでしょうか。
しかし、全面的に当てはまる人は、当然ながら稀有です。
なぜなら、他の四品の人柄に当てはまらないことが必要ですから。
“ 下品 ” ― 邪な思いや偽り、ほんの少しでも持っているのなら当てはまります。
ちょっとした狡や誤魔化しさえ、あってはならないのです。
“ 庸品 ” ― 短所がないというのは置いておいても、長所がないというのはいただけません。
やはり、長所を作り、それを磨き続けて、本物にしていかねばなりません。
“ 雑品 ” ― 善を行わねばなりません。
日々、一挙手一投足、善の範疇での言動が必要です。
うっかりというレベルでさえ、過ちを行ってはならないのです。
“ 正品 ” ― 自らの定まった見識を持っていなくてはなりません。
時流やその場の雰囲気によって言動が変わるご都合主義のような振る舞いでは、お話にならないのです。
孤高に立とうとも、毅然とした態度で道を示すことが求められます。
以上、四つの人柄を備えた上で、自立自由であること、そして一般の考えとは違う、優れた〝 識 〟を有することで、〝 高品 〟たる人物へと昇華していくのでしょう。
大変な道のりです。
少なくとも、“ 下品 ” には温かく接しつつ考え方の誤りを諭し、“ 庸品 ” にも温かい眼差しで人としてのあるべき姿を説き、“ 雑品 ” の善は称え、過ちには繰り返さない要点を教え、“ 正品 ” にはさらなる修養と錬磨を促すこと。
〝 高品 〟となるには
これらと共に
自己研鑽をさらに極めていくこと
それが必要なのでしょう
決して息苦しくはなく
また窮屈ではなく
逆に
自由で
穏やかで
開かれた生き方になるはず