冉有曰わく、夫子は衛の君を爲けんか。子貢曰わく、諾、吾將に之を問わんとす。入りて曰わく、伯夷・叔齊は何人ぞや。曰わく、古の賢人なり。曰わく、怨みたるか。曰わく、仁を求めて仁を得たり。又何をか怨みん。出でて曰わく、夫子は爲けざるなり。〔述而第七〕
(冉有が言った。「先生は衛君を助けられるだろうか」
子貢が言った。「よろしい。私が先生に尋ねてみよう」
子貢は先生の部屋に入って尋ねた。「伯夷、叔斉はどういう人物でしょうか」
先師が答えられた。「昔の賢人だ」
子貢が尋ねた。「自分たちのやったことを後悔したでしょうか」
先師が言われた。「仁を求めて仁を得たのであるから、何を後悔することがあろうか」
子貢は、部屋を出て冉有に言った。「先生は助けないよ」)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
欲に塗れた者の愚かな姿
筋を通して生きた人の姿
どちらを選ぶかは明らか
今日の言葉を理解するには、当時の背景を知る必要があるので、「NPO法人 論語普及会」宮武清寛氏のブログ※を参考に説明します。
※ https://ameblo.jp/miyatake-yagikensetsu/entry-12629712550.html
衛の霊公と夫人の南子、この二人の子、聵蒯。
南子は極めて素行不良であり、聵蒯は暗殺を企てるが失敗、追放の目に遭って晋の国に亡命する。
その後霊公が他界し、霊公の孫、つまり聵蒯の子である輒が後を継ぐ。
これを知った聵蒯が、自分が後継ぎになろうと晋の力を借りて衛に攻め入り、自分の子である輒と争うことになる。
孔子とその門人は
当時衛に滞在していました
孔子ははたして
輒を助けるように動くのか
これが門人冉有の問いです
子貢が孔子に尋ねたのは、伯夷と叔斉という兄弟の話。
謙虚なこの兄弟は、父が統制していた国の跡継ぎをお互いに譲り合い、最後にはその身分を捨ててしまう。
そして二人が周に亡命する途中、周の武王が暴君として名高い紂王を討伐してしまう。
暴君とは言え、家臣が君主を討つのは義に反するということから、二人は首陽山に籠り山菜を食って凌いでいたものの、結局餓死する。
孔子は、この兄弟の生き様を大切に思っていることがわかります。
このことから子貢は、稚拙な親子ゲンカで国民を困窮させている衛国の父子を、孔子は軽蔑しているということを理解するのです。
子である輒は、一旦父に譲れば、やがては自分がその跡継ぎになるわけです。
また父である聵蒯は、輒を説得するなり、後方支援に回るなりすることで、平和的に衛国を治めることができるわけです。
二人ともそうはせず、国民の生活を無視しながら我欲を通そうと争い続けるのです。
人の道を外れた行動をとる衛の親子、聵蒯と輒の争いに、先生(孔子)は関与しないと子貢は認識し、冉有に答えたのです。
子貢は、対象となる聵蒯と輒を取り上げることなく、孔子の真意(価値観、判断基準)を知るためにと、伯夷と叔斉の話から回答を導き出しました。
また孔子も、そのような子貢の高い視座を感じ取った上で答えているようです。
望ましい生き方
それを改めて認識し直すことで
自らの進む道が見えてくる
眼前の現象に踊らされることなく
人としての道を歩んでいく
その大切さを感じさせます