Loading

COLUMNSブログ「論語と算盤」

独りを慎む

2025年11月22日

しょう人間居じんかんきょしてぜんし、いたらざるところし。君子を見て后厭然のちえんぜんとして、の不善をおおいて其の善をあらわす。人のおのれること、其の肺肝はいかんを見るがごとしかり。すなわなんえきかあらん。これうちまことあればそとあらわるとう。ゆえに君子は必ず其のひとりつつしむなり。

<出典:『『大学』を素読する』伊與田覺著 致知出版社>

 

 

 

 

こころばせまことにするためには

ひとりをつつしむことが肝要かんよう

 

心に小人のたましいれば

他者に容易に見透かされる

 

 

 

 小人とは一般の人と解釈することがここでは妥当とのこと

 

 

暇というのは、やはり良くないと実感します。

 

暇を持て余すと、まず時間の過ごし方が怠惰になります。

 

最悪の場合には悪いことを考え、実行してしまうこともあるでしょう。

 

真面目とされる人でさえ、自分の軸が不明瞭な場合には、無関係で適当な事柄に闇雲に進むなど、無益なことに力を使いがちです。

 

 

 

それなりに立派な人物になろうとすると、暇を得たときには、自分がなすべき先々のことに取り組むことが良いでしょう。

 

自分の軸さえ確立できていれば、それは可能です。

 

 

 

問題なのは

自分の軸を

得られるか

ということ

 

 

 

自分の軸

 それはきっと

  自分や周囲の人の

   幸福につながること

 

 

可能な限り、最上の幸福を考えるなら、それはおそらく他者との関係に尽きます。

 

そして『大学』は、一貫してそれを目的としています。

 

八条目では、格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下と進みます。

 

 

 

国を治めて天下を平らかにするとは、決して権力を得ることを目的としているのではありません。

 

国民を幸福にし、争いの無い、徳に溢れた国を創っていくということが目的です。

 

そしてそれが治国であり平天下です。

 

 

 

そのような任務を遂行する人は、誰からも認められる君子でなければなりません。

 

今日の言葉にあるように、小人つまり一般の人は、君子を見れば自分の振舞いを正そうとする、つまり君子とは、人としてどうあるべきかの見本なのです。

 

中身が伴わず、ころころと取振る舞いを変えるような人は、誰からも薄っぺらい人物と見透かされます。

 

つまり、表面づらを保とうと振る舞いを変えるような行為は、軽薄さが認められるだけで何の益も得られないのです。

 

 

 

自分を本当の君子に近づけようとするのなら、独りのときに、自らと対峙し、人としてあるべき道を考え、実行していくことが必要です。

 

 

 

独りのときに本当の自分が現れる

 

独りのときに自らのこころばせまことにする

 

 

<参考:『『大学』を味読する 己を修め人を治める道』伊與田覺著 致知出版社>