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COLUMNSブログ「論語と算盤」

立志

2025年11月14日

立志の立の字は、豎立じゅりつひょう・不動の三義をぬ。〔耋二二〕

(立志の「立」の字は、

 豎立(真っ直ぐに立つ)、

 標置(目標を立てる)、

 不動(しっかりと動かない)

の三つの意義を兼ねている。

<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>

 

 

 

 

立志

 

 

言うは易し

行なうは難き

 

 

 

志を立てることはとても大切なことだと思います。

 

人生、立志なくしては、曖昧な時の流れでしかなくなります。

 

 

しかし、立志の具体的な骨格はわからないままでした。

 

今日の言ではっきりします。

 

 

 

豎立 真っ直ぐに立つ

 

 これは、正しいこと、人としてなすべきこと、世のため人のためになることを目的にするということ。

 お天道様に顔向けできないような思いは、どんなに飾り付けても立志とは言えません。

 

 

標置 目標を立てる

 

 これは、最終的な完成形を描くこと。

 80年や100年などという自分の人生の時間とは関係ありません。

 あらゆるものが、あるべき姿になることを目標とすべきでしょう。

 もちろん、自分が立てた志である以上、自分の人生の中でその大半を成し遂げたいものです。

 

 

不動 しっかりと動かない

 

 動かないというのは、今いる場所を離れない、立てた目標を変えない、つまりは覚悟を固めるということ。

 それと同時に、自分の心の中にある道を歩むこと、あれこれと外に求めようとしないこと。

もとより、必要な要素は全て自分に備わっているのですから。

 

 

 

 

天道てんどうかというて世をうらむものもあるが、かかる人は実は地を見て天を怨むものである。

もし心を地より放して、眼を天に注いだならば、天の是なることは疑うまでもなくなる。

人生に最も重大で最も欠くべからざるものは、各自に備わっている。

地を怨むの必要もなく、天をのろうの必要もない。

<出典:『修養』新渡戸稲造著 角川ソフィア文庫>

 

 

 

私はいままで、平澤興師の次の言葉にやや懐疑的でした。

 

私の見るところでは世の中は案外公平であります。

案外というよりも、むしろ非常に公平であります。

<出典:『平澤興一日一言』平澤興著 致知出版社>

 

 

しかし

前述の新渡戸氏の考えに触れ

腑に落ちた気がしています

 

 

外の基準で考えれば、間違いなく不公平と感じます。

 

しかし、自分の内、自分の基準で考えれば、全ては公平となるもの。

 

 

 

また、以前深く悩んでいたとき、同じような意味の言葉を見つけたものです。

 

 

汝自身に向かって進め

<ユダヤ教>

 

 

 

 

自分の生き様を直視し

外に求めず

自分自身の心の中を見つめる

 

その自分の心を耕し

手入れし

磨いてゆく

 

そして志を立てる

 

 

 

てんじょうてんゆい独尊どくそん

             <釈尊>