学を為すの初めは、固より当に有字の書を読むべし。学を為すこと之れ熟すれば、則ち宜しく無字の書を読むべし。〔耋一五〕
(学問を始めるときは、もちろん文字の書かれた書を読んで学ばなくてはいけない。学問が上達してくれば、字の書かれていない書、すなわち天地自然の理を読み取るようにするべきである。)
<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
前段は時務学
後段は人間学
両方を学ぶことが大切
その時代に生きるためには、その時代の仕事を務め上げることが大切です。
そのためには時務学、つまり学校などで学ぶ読み書き算盤などを習熟することが欠かせません。
成人して社会に出て、身に付けた時務学を発揮できるようになれば、今度は人間学を学ぶことが求められます。
自らの振舞い、身の処し方、他者の感情、好悪、動機、世の流れの方向性を見極める力、新しい状況を概念として形作る想像力、それを実践する創造力など
時務学が既知の領域であるのに対し
人間学は
まさにゼロから1を創り上げる領域です
古の時代には活字が少ないので、人間学が優先したのでしょう。
徐々に現代に至るにつれて、時務学が大いに発展しました。
今では、人間学が片隅に追いやられている感さえあります。
しかし、世の中の流れは少しずつ、人間学を重視する方向に向いているようです。
誰もが心の中に空洞を感じる時代
その空洞を埋めて
さらには希望を得られる学び
それが人間学です
人間学を学び
人間力を高めること
それこそが人としての質
成熟度を高めることに
つながっていくのです
古典、『小學』には次のような教えがあります。
伊川先生言ふ、人に三の不幸有り。少年にして高科に登るは、一の不幸、父兄の勢に席りて美官と爲るは、二の不幸、高才有りて文章を能くするは、三の不幸なり。
(大意・・・
程伊川先生言う。人に三つの不幸がある。
その一つは、年若くして優秀な成績で科挙に合格すること。その二つ目は、父兄の威勢のお陰で高級官僚となること。その第三は、才能に秀で文章も優れていることの三つである、と。)
<引用:『『小學』を読む』荒井桂著 致知出版社>
一つ目の若くして高い地位につける成績の者は、人間学より時務学が勝っているものです。
その者が登用されてしまうと、本人は自信を持てる反面、今までの自分のやり方を変えられなくなります。
これで良いはず、という狭い範囲でしか知見を活かせなくなってしまうのです。
二つ目の家族の力、いわゆる七光りで出世するというのは、時務学も人間学も低い程度か、そうでなくとも磨き上げられたものにはならないでしょう。
人は安きに流れるという特性が、その人の成長を留めるという不幸に誘うことになります。
三つ目は器用貧乏の弊害です。
単に文章力や表現力が上手というだけであれば、その反面として、さらなる精緻な領域や核心部分への探求ができなくなるということ。
いまの日本において、時務学を学ぶ時間と環境は十分です。
だからといってそれに執着、拘泥してしまうと、人間としての成長が止まります。
人の上に立つ人
教育者
子供を育てる父母
そして誰もが
少しずつ
しかし着実に
人間学を修めること