子曰わく、富にして求むべくんば、執鞭の士と雖も、吾亦之を爲さん。如し求むべからずんば、吾が好む所に從わん。
(先師が言われた。
「私は富をどうしても求めなければならないなら、行列のお先払いでも喜んでしよう。だが求めなくてもよいなら、私はたとえ貧乏をしても自分の好きなことをやりたい」)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
シンプルながらも核心を突いていると感じます。
どうしても富が必要なら何でもする
この身を費やして働いてでも
富を作る
それが最大の願望とは
例えば借金を返すこと、罪を償うことなどでしょうか。
自分の身体とかけがえのない人生の日々を犠牲にしてまでも富を得なければならないのでしょう。
その必要がなければ
自分の好きなこと
思うことをやる
与えられたこの生を
自分の意思で過ごし味わう
孔子はすでにその境地に達していたのでしょう。
では、現代の人々は、何を意識して日々を過ごすのでしょう。
「富のためなら何でもする」という思いと、「自分の好きなことをする」という思い、この両者の間で漂っているようです。
他のみんなが働いているから、貧乏になるのは嫌だから、見下されたくないから、・・・
さらには、他の人よりも良い生活をしてやる、贅沢をしてやる、というように偉ぶりたい、見栄を張りたいという願望もあるでしょう。
これらは
何かに抵抗しているような
苦しさが感じられます
何に抵抗しているのか
それは他人の目
『大学』の一節
仁者は財を以て身を發し
不仁者は身を以て財を發す
(仁者は財物を民間に散らせてそれによって民心を得、不仁者はわが身を亡ぼして財貨を増やすのだ)
(訳・・・『大学・中庸』 金谷治訳注 岩波文庫 )
厳しい表現ですが、見方を変えれば、仁の人は財を使って自分の徳や仁義礼智信を高めていき、仁のない人は自分の身を犠牲にしてでも財を貯えようとする、と読み取れます。
思うに
死ぬ間際に
人生をやり切れたと
感じられるかどうか
これがカギと思います
一方で、「お客様からご要望があるから、徹夜してでもやんなきゃいけないんだよ!」という声もあるでしょう。
「みんなお客さんが一番大事だと思っているけど、そうじゃない。まずスタッフ、その次はスタッフの家族、三番目がお客さんだよ。スタッフが楽しく仕事をできなければ、お客さんに美味しい料理を届けることはできない」
(引用:月刊『致知』2026年3月号「一流への道はかくして拓かれた」)
仕事によっては、自分の身を摩り切らしてでも要望に応えようとする行為は美しく素晴らしいとさえ感じます。
反面、それで果たして最高レベルの効用を与えられるのかという疑問も生じます。
今日の言葉は
生きる極限を考えて自分の道を歩め
そう言われていると感じます