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COLUMNSブログ「論語と算盤」

人生を体感する

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2026年2月6日

先生・資質魯鈍、少時書を読んで誦を成す能はず。すなわち一切之を棄て、澄心体認す。(之を)久しうして了悟す。目に入れば即ち忘れず。年十五年にして性理の書を読み、欣然会する有り。一生孜々として学を講じ自得する所多し。

(先生は性来あまり頭のいい方ではなかった、気の利く方ではなかった、少年の頃書を読んでも暗誦することができなかったので、一切書を読むことを止め、もっぱら心を澄ませて体で意味を掴むことを心掛けたのである。そうして久しうして了悟するところがあり、目にはいるものは決して忘れることがなかった、十五歳にして性理の書-五経等の人間学に関する書を読み、心にぴたりと響くものがあった。一生倦むことなく学を講じて自得するところまことに多大なるものがあった)

<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>

 

 

 

『呻吟語を読む』から取り上げる言葉は

前回で終わりました

 

 

今日の言葉は、呻吟語の著者である呂新吾先生という人物について、安岡師が紹介した内容です。

 

『明儒学案』の一節とのことです。

 

 

 

 大変興味深い特徴というか資質ではないでしょうか。

 

字面を追いかけて理解、咀嚼し、さらに暗唱する力、これは優秀な人が持つ一種の才能でしょう。

 

大きく恵まれるか小さいか、という差があるでしょうが、呂新吾先生はどうやらあまり恵まれてなかったようです。

 

しかし、自分なりの習得方法で学び続けたことが、結果的に偉大なる「為政者として教育者として少なからざる感化を社会に与えた」とのことです。

 

 

 

頭脳明晰であれば、確かに時務学が得意になるでしょう。

 

しかし、それに頼ってしまっては、人物としての成長は期待できません。

 

体感、五感、第六感で、自分の身に染み渡らせることこそが、人物として伸びていく要訣です。

 

 

 

 

人生は

理屈では捉えられない

 

 

 

理屈が最も重要であるならば、世界中、古代から現代まで、多くの頭脳明晰な人達が人生の真理を把握して、頭脳で劣る人々を導いてきたことでしょう。

 

 

しかしそうはなっていません。

 

もとより、頭脳明晰ならば人生が豊かかというと、必ずしもそんな相関関係は見いだせていません。

 

頭脳明晰で理論的なのは大切な力でしょうが、それに溺れて安住してしまうと枯れ果てるのみです。

 

 

 

これらは、歴史を学ぶことや、現代の現象を確認することで明らかなはずですが、教育というものは理屈を学ばせようと躍起です。

 

 

賢者は歴史に学び

愚者は経験に学ぶ

(独 初代宰相 ビスマルク)

 

 

一国の教育体系を構築する人々が、理屈好きなのでしょう。

 

しかしそれでは、国としての力は決して強くなりません。

 

 

 

 

狭い経験上ですが、理屈に強く、それを発する人は、比較的若い人が多いようです。

 

そしてまた、そういう人は大概他者に使われる側にいます。

 

今後、年齢とともに経験を重ね、人物を練り上げられるかが重要です。

 

 

 

 

そしてそれは

 全ての人々にとって

  欠かせない修養でもあり

 

それによってこそ

 人生の豊かさを知ることができ

  そしてそれを得ることにつながる

 

 

 

 

大人物とは

人間的な力が大きい人

 

人生を体全体で受け止め

前に進み続ける人

 

どのような時代であっても

そんな人物が望まれるもの