子、顔淵に謂いて曰わく、之を用うれば則ち行い、之を舍つれば則ち藏る。唯我と爾と是れ有るかな。子路曰わく、子三軍を行らば、則ち誰と興にせん。子曰わく、暴虎馮河、死して悔いなき者は、我興にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成さん者なり。
(先師が顔淵に向かって言われた。
「用いられれば自分の信念によって堂堂と行い、用いられなければ退いて静かにひとり道を楽しむ。唯私とお前くらいかな」
子路はこれ聞いて先師に尋ねた。
「もし全軍を動かして戦うときには、先生は誰と共になさいますか」
先師が答えられた。
「虎を手打ちにし、大河を徒歩で渡り、死んでも悔いのないような無謀な者と私は一緒にしない。誰かと一緒にというなら、戦いに臨んで恐れる位に計画を綿密にしてやりとげようとする者とだなあ」)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
〝世に役立つための人としての価値〟
登用されれば
自分が得てきた知見をもとに働く
世のために
登用されなければ
静かに自らの道を歩んでいくのみ
この逆は、自ら積極的に売り込んで登用してもらおうとすること
自分の欲や個人的願望を得たいがために利己的な行動をとってしまうのは、〝世に役立つための人としての価値〟が認められません。
世の流れをしっかり捉えて、自らの出処進退を見極めることが重要です。
孔子は、まだ若い顔回が自分の分身であるかのように、率直に語っています。
それに対して、やや嫉妬したように子路が問います。
“ 勇敢なお前と一緒に戦うことを選ぶ ” というような返事を期待したのでしょう。
しかし、孔子の返事は真逆となりました。
前段は
政に対する謙虚さを
後段は
戦における慎重さを
示しているようです
永禄三年(一五六〇)五月、桶狭間の戦い。
三万の軍勢を誇る今川義元に対し、織田信長側は三千ほどの勢力。
織田側の砦が次々と破られていく中、信長は動くことなくその期を待ちます。
やがて今川軍が桶狭間に入ったとき、奇襲をかけます。
今川軍が油断しているという情報もあり、また幼少期から桶狭間の地形を熟知していた信長は、今こそ待ち望んだ時と攻め込み、今川義元の首を討ったのです。
時、所、情勢、あらゆる事態を想定し、その上で勝負所を見極め、慎重に計画した織田信長の戦術。
力が戦いに有利に働く
これは間違いない
しかし
本質的には〝 知謀 〟が鍵を握る
力があっても
“ 無謀 ” では戦いに勝てない
子路はがっかりしたでしょうが、孔子は側近中の側近の一人として可愛がっていました。
ただ、その猪突猛進の負けん気を常に心配していたようであり、折に触れ注意しています。
謙虚さと慎重さ
〝世に役立つための人としての価値〟
それを高めるために必要な心掛け