不乗四等船 誰渡八苦海 〔實語教〕
四等の船に乗らずんば、誰か八苦の海を渡らん。
(意訳:人としての四つの大事な心を持たずして、八つの苦しみがあるこの人生を歩むことはできない)
【四等】慈(人の幸せを願う心、人を慈しむ心)
悲(人の悲しみを理解する心、その苦しみを取り除いてあげようとする心)
喜(人の幸せを喜んであげられる心)
捨(差別せず平等の立場で接する心)
【八苦】生・老・病・死の四苦に加え、次の四苦
愛別離苦(愛する人と離れる苦しみ)
怨憎会苦(嫌な人に会わなければならない苦しみ)
求不得苦(欲しいものが得られない苦しみ)
五陰盛苦(生きることの苦しみ、肉体があるが故の苦しみ、存在する苦しみ)
<参考書籍:『實語教童子教 改版』馬喰町 錦耕堂山口屋藤兵衛板 解説>
四つの大事な心
持っていますか
この言葉について考えているとき、人の心の癖のようなものを感じました。
人間として最も力を発揮できる、成人から老人に至るまでの期間、多くの人の心には不平不満が多いのではないでしょうか。
かく言う私にも心当たりがあります。
周囲の人たちに対して
仕組みに対して
周りの環境に対して
目上の考え方に対して
軽んじた接客態度など
数え上げればキリがありません
もっと激しい人もいます。
口を開けば
不平と不満ばかり吐き続け
自分が正しく他人は悪い
そういう気持ちに縛られている人
こんな心になってしまうのは、自分の生き方に責任を持とうとせず、自分を相対的な存在にしているから。
誰かに自分の正しさを認めてもらいたい
自分が優れていることを認識させたい
他の人を差し置いて、自分だけが成功したい
このような心の情景が浮かんできます。
ここには、四つの大事な心が無いようです。
一方でこうした人達は、自分の恋人や大切な伴侶には特別に優しく接することがあります。
その人だけが自分を認めてくれている
その人を失えば自分の存在意義がなくなる
それが怖いため
なぜこんな心理になってしまうのか
これも現代社会における、競争社会の歪みと感じます。
では、近代よりも以前はどうだったのでしょう。
人は、他人と比べる尺度がないため、自分が相対的な存在とは感じず、絶対的な存在と思っていたのではないでしょうか。
そのため、人と人とがぶつかり合う場面も多かったのでしょう。
そしてその度に、悲しみ、苦しみ、怨み、また反対に、喜び、楽しみ、愛し合う。
そして
やがては老い
病を抱え
死んでいく
このような人の一生
そこから湧きだした教訓
それが今日の言葉
競争社会における “ 時務学 ” は、確かに財を育むでしょう。
それに対して〝 人間学 〟は、人としての徳を育むものです。
徳は本なり。財は末なり。
(大学)
遠きを謀る者は富み
近きを謀る者は貧す
夫れ遠きを謀る者は
百年の為に松杉の苗を植う
ましてや
春植えて秋実る物においてをや
故に富貴なり
近きを謀る者は
春植えて秋実る物をも
猶遠しとして植えず
只眼前の利に迷ふて
蒔かずして取り
植えずして刈り取る事のみに眼をつく
故に貧窮す
(二宮金次郎)
国家が
このような愚を犯してはなりません