泰山喬嶽之身。海濶天空之腹。和風甘雨之色。日照月臨之目。施乾轉坤之手。盤石砥柱之足。臨深履薄之心。玉潔冰清之骨。是男児八景也。〔修身〕
(泰山や高い山嶽のようにどっしりと落着いてみえる身体。海の広々としておるような、天の蒼々として何の遮るものもないようなゆったりとした腹。万物を生き返らせる和やかな春風のごとく、甘くてやわらかな雨のごとき顔色。見ておるだけでいかにも嬉しくなるような、なんとなく生きたい気分になるような、そういう和やかなやわらかい顔色。日の輝いておるような、月の照り映えておるような輝きのある澄んだ目。天をめぐらし地を転がせるような手。盤石のようにどっしりとした、砥柱の激流の中にあってびくともしないで立っておるような、そういうずっしりとした堂々たる足。深渕に臨む時のような・薄氷を踏む時のような、注意のいき届いた心、いかなる微細な問題も見逃さないゆき届いた徹底した心。玉のごとく潔く水のごとく清い清潔な骨。これが男児の八景である。)
<出典:『呻吟語を読む』安岡正篤著 致知出版社>
変革の時代には
表面に立つ男の責任が大きくなる
そういう、男としてふさわしい八つの景色として述べられています。
安岡師は、身長だの体重だのということには関係なく、まことによくできた人物の絵画的表現であるとされています。
一つひとつイメージしてみてください。
誰か、今までに出会った人、あるいは著名な人など、思い浮かぶ人がいますか。
私にはいます。
その人のように、なぜ自分はなれないのか。
私が思い至ったことは、眼前の事象への対処の違いです。
何のフィルターも持たず、相手の人物そのものを直視する人であったこと。
物事にも同様、フィルターをかけることなく、真っ直ぐに、ありのままにその事象を捉え、またその変化をありのままに捉えていたこと。
流れが変わったにもかかわらず、今までのまま、安住の地にしがみつこうとしたり、慣れたやり方で大丈夫だと、変化を軽視したり無視したりする、これは平凡な人。
優れた人は、その流れの変化と一体化しているかのように、自らも変化していきます。
それは、前兆を掴んだ段階から始まり、まるで自然の法則に則っているかのように、様々な事象と一緒に変化の先を創造していく行為とも感じさせるものでした。
住する所なきを まず花と知るべし
(留まることなく、変化し続けよ)
(世阿弥 風姿花伝)
変化に受動的なのは停滞となる
自然に沿って能動的に変化する
私が得た人物に対する体験
忘れられない体験
活かさねば
自然と人