子の燕居するや、申申如たり、夭夭如たり。
(先師が、家にくつろいでおられるときはのびのびとされ、にこやかなお顔をしておられた。)
※孔子は、けっしてこちこちの堅苦しい家庭人ではなかった。
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
孔子という人物は
決して堅苦しいひとではなかった
もとより、堅苦しい人であれば、門弟の多くもついて行かれず脱落したことでしょう。
穏やかでのびのびとしている姿は、周囲の人々へ安心を与えます。
厳しい表情で緊張感を纏っているような人は、周囲にも厳格さを求め、伸びやかさを奪います。
そのような集団では、常に緊張感が漂い、お互いが疑心暗鬼となり、暗く重苦しい雰囲気になります。
やはり、大きな人物というのは、どっしりと、ゆったりと、穏やかで、それでいて深い洞察力と信念を併せ持ったような人でしょう。
そういう人がいてこそ、集団は伸びやかで自由闊達、そして他者を尊重し、お互いが自分に厳しい中、良い緊張感を育んでいくことが可能になります。
また、ただ人当たりが良いだけで、緊張感が緩い人物にも注意が必要です。
単に明るく爽やかというのであれば特段の問題を生むことはないかもしれませんが、真剣さを欠いていたり信念を持っていなかったりというのであれば、周囲に良い影響は与えられません。
そのような人物、つまり小人に対して、『論語』は鋭い視線を向けています。
巧言令色鮮なし仁
(ことさらに言葉を飾り、顔色をよくする者は、仁の心が乏しいものだよ)
君子は和して同ぜず 小人は同じて和せず
(君子は誰とも仲良くするが、強いて調子を合わせたりはしない
小人は誰とも調子を合わせるが、心から仲良くしない)
明治、大正、昭和、平成と四つの時代を生き抜いて、多くの人に生きる指針を示された平澤興師も厳しく指摘しています。
和して同ぜざる判断と勇気こそは
いわば民主主義の柱であって
最も慎まねばならぬのは
無責任の付和雷同である
<出所:『平澤興一日一言』平澤興著 致知出版社>
いわゆる「つるむ」ことは良くありません。
そして、つるんでいる人々の姿を見て、直観的におかしいと感じられる感性も大切です。
ひとりで考えることでこそ
本当の自分に出会えるはず
その真摯さが自分を深め、卓越した知恵を得、そして周囲に良い雰囲気と影響を与えるのです。
それは〝受容〟と〝穏やかさ〟、そして〝真剣さ〟と〝厳しさ〟とを合わせ持った姿。
人生は、にこにこ顔の命がけ
先生は「ハチマキ姿で目を怒らした努力なんていうのは大したことではない。そうではなく、にこにこしながら命を懸ける。にこにこしながら命を懸けるというのは、偉大な夢が後ろにあるということだ」とおっしゃっていました。
<出所:同著 筑波大学名誉教授(出版当時)村上和雄氏の「まえがき」より>