子曰わく、聖人は吾得て之を見ず。君子者を見るを得ば、是れ可なり。子曰わく、善人は吾得て之を見ず。恒有る者を見るを得ば、是れ可なり。亡くして有りと爲し、虚しくして盈てりと爲し、約しくして泰かなりと爲す。難いかな、恒有ること。
(先師が言われた。
「今の世に聖人を見ることができなくても、君子を見ることができればよろしい」
又言われた。
「善人を見ることができなくても、平常と変らず努力する者を見ることができればよろしい、無いのに有るかのように見せかけ、内容が乏しいのに充実しているかのように見せかけ、貧しいのに豊かのように見せかける者が多いが、どんなときにも変らないのは甚だむずかしいことだねえ」)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
恒有る者
そうありたい
自分を大きく見せようと虚勢を張る、こんな小人にはなりたくありません。
私自身、そのような言動は取っていないと思いますが、こればかりは周囲の人の判断に任せるしかないでしょう。
客観的に見ている第三者は、誇張した言動などすぐに見破ることができるものです。
自分の状況を
飾ることなく
無いなら無いと
貧しいなら貧しいと
虚勢を張らず己を飾らず
お天道様のもとにおいて
素直に生きることが理想
さらに踏み込むと
〝 泰然自若 〟の域
何があっても
どっしりと
落ち着いた姿
人は、窮地に陥ったとき、どうしても狼狽えてしまいます。
この状況を改善したい、脱出したい、原因は何だ、打開策は、突破口はどこに、というように、思考を巡らせ急場を凌ごうとします。
ただしその場面において、小賢しい姿、情けない姿、逃げの姿勢が現れれば、端から〝 恒有る者 〟ではなくなります。
どうすれば良いのでしょうか。
どうあがいても、結果に大差はないと大きく構えるか・・・
しかし、それにも限度があります。
自分の視点を大所高所に置き、自らの姿を第三者の立場から眺めつつ、為すべきことを考えながらも状況に応じた落ち着いた姿勢で、ゆったりと腰を上げていくこと、これが大切だと思います。
この境地に至るには、やはり修養が必要なのでしょう。
聖人君子ならずとも
恒有る者に
虚勢
それは張れば張るほど
災いが降りかかってくるもの