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COLUMNSブログ「論語と算盤」

恒有る者

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2026年9月30日

子し曰のたまわく、聖人せいじんは吾われ得えて之これを見みず。君くん子し者しゃを見るを得えば、是これ可かなり。子曰わく、善人ぜんにんは吾得て之を見ず。恒つね有ある者ものを見るを得ば、是れ可なり。亡なくして有りと爲なし、虚むなしくして盈みてりと爲し、約まずしくして泰ゆたかなりと爲す。難かたいかな、恒有ること。

(先師が言われた。

「今の世に聖人を見ることができなくても、君子を見ることができればよろしい」

 又言われた。

「善人を見ることができなくても、平常と変らず努力する者を見ることができればよろしい、無いのに有るかのように見せかけ、内容が乏しいのに充実しているかのように見せかけ、貧しいのに豊かのように見せかける者が多いが、どんなときにも変らないのは甚だむずかしいことだねえ」)

<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>

 

 

 

 

恒有る者

 

そうありたい

 

 

 

自分を大きく見せようと虚勢を張る、こんな小人にはなりたくありません。

 

私自身、そのような言動は取っていないと思いますが、こればかりは周囲の人の判断に任せるしかないでしょう。

 

客観的に見ている第三者は、誇張した言動などすぐに見破ることができるものです。

 

 

 

自分の状況を

 飾ることなく

 

無いなら無いと

 貧しいなら貧しいと

  虚勢を張らず己を飾らず

   お天道様のもとにおいて

    素直に生きることが理想

 

 

 

さらに踏み込むと

〝 泰然自若 〟の域

 

何があっても

どっしりと

落ち着いた姿

 

 

 

人は、窮地に陥ったとき、どうしても狼狽うろたえてしまいます。

 

この状況を改善したい、脱出したい、原因は何だ、打開策は、突破口はどこに、というように、思考を巡らせ急場を凌しのごうとします。

 

ただしその場面において、小こ賢ざかしい姿、情けない姿、逃げの姿勢が現れれば、端はなから〝 恒有る者 〟ではなくなります。

 

 

 

どうすれば良いのでしょうか。

 

どうあがいても、結果に大差はないと大きく構えるか・・・

 

 

しかし、それにも限度があります。

 

 

自分の視点を大所高所に置き、自らの姿を第三者の立場から眺めつつ、為すべきことを考えながらも状況に応じた落ち着いた姿勢で、ゆったりと腰を上げていくこと、これが大切だと思います。

 

この境地に至るには、やはり修養が必要なのでしょう。

 

 

 

聖人君子ならずとも

恒有る者に

 

虚勢

それは張れば張るほど

災いが降りかかってくるもの