未だ上仁を好みて、下義を好まざる者は有らざるなり。未だ義を好みて、其の事終らざる者は有らざるなり。未だ府庫の財、其の財に非ざる者は有らざるなり。
(未だ上位にある者が人を好んで、下位にある者が義を好まない者はない。まだ義を好んで、物事が首尾よく終らない者はない。まだ国庫の財も当然の財として人手に渡ったことはない。)
<出典:『『大学』を素読する』伊與田覺著 致知出版社>
君主やリーダーが〝 仁 〟の心をもって国や組織を良くしていこうとするとき、人々はその意向に沿おうとするでしょう。
望ましい体制です。
しかし、そう簡単ではありません。
君主やリーダーがいくら清廉であったとしても、後に続く人たちが必ずしもその真意を汲める人かどうかはわかりません。
〝 仁 〟に反する粗末な対応をする可能性は拭えません。
それらを防ぎ、全員の思いを〝 仁 〟にまとめ上げるのは容易ではないでしょう。
組織が大きくなると、当然その難度も高まります。
リーダーの〝 仁 〟、その思いを理解し受けとめる複数の人物が各部署を統括し、その下に就く者も同様でなければなりません。
そして不慣れな者、例えば新人に対しては根気強く語りかけ、理解させ、〝 仁 〟に対する〝 義 〟の心を根付かせていくことが必要なのです。
リーダーに〝 仁 〟が無ければ、その下に就く人たちは心の拠り所を失います。
そういう組織は不安定になり、仕事そのものが曖昧になりかねません。
人々は疑心暗鬼となり
目立たないように振る舞い
何かあれば他責にし
黙って報酬だけもらっておこう
そういう空気が組織内に蔓延します
すべからくリーダーには
〝 仁 〟の心が必要不可欠です
そういうリーダーに
恵まれた人々は
〝 義 〟に立脚して事を為し
皆で協力しながら
充実した仕事をし
結果を生み出すことでしょう
人々の心には、〝 仁 〟と〝 義 〟が生まれながらに備わっています。
この芽を発芽させ、全て咲かせることができるなら、私たちが未だ見たことのない、眩しい世の中が実現するかもしれません。
また、〝 仁 〟の国、その蔵の財物は〝 義 〟から生まれたものであり、その国にあるべき当然の財です。
それがかすめ取られることはありません。
盗みは〝 義 〟の無い者の仕業なのですから。
人々の心の奥底には
様々な要素が
沈殿しているでしょうが
活かすべきものは
“利”や“欲”ではなく
〝 仁〝 と〝 義 〟であるべきです
仁:もとは外見の見栄えの良さのこと。孔子が内面化した。「自分の心内の欲求を自覚し、それを基にして他者の心中を思いやること」。探求すべき対象というよりも、実践を即座に求められる性格のものであることから、孔子は定義づけていない。
義:もとは秩序に則るという意味合い。仁が遠心的に他者に向かっていく心情であるのに対し、義は静的な秩序、あるいはその秩序を維持する心性をさし、求心的な印象となる。仁と義は相補的関係。義と利は対立関係。
<参考:「儒教入門」土田健次郎著 東京大学出版会>
〝 仁 〟と〝 義 〟によって
自らを創り直す
この生が続く限りの課題