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COLUMNSブログ「論語と算盤」

文行忠信

2026年9月15日

子し、四よつを以もって教おしう。文行ぶんこう忠ちゅう信しん。

(先師は、常に四つの教育目標を立てて弟子を指導された。典籍の研究、実践、誠実、信義がそれであった。)

<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>

 

 

 

 

まず〝 文 〟

 

 

研究すること、学問すること

 

典籍の研究とされており、人間学の研究です。

 

「いかに生きるか」を問うもの。

 

 

孔子の思いの中心であり、特に若い弟子であった顔回に大きな期待を持っていたようです。

 

その顔回の生き方として、安岡正篤師は著書の中で、次のように記されています。

 

「禄を得るに怖れ」、禄を得るということは、それで自分が縛られ、買われることであるから、禄を得るに怖れる。顔回の貧乏は有名なものであるが、貧乏してもなかなか人に買われない、縛られない。それは畢ひっ竟きょう、人格を重んじ、自由を愛するからです。「身を治むるに慎む」わけです。

 

<引用:『人物となる道 「孔子家語十講」に学ぶ』安岡正篤著 致知出版社>

 

 

 

何ものにも

 自分を売らず

  迎合することもなく

   自由であることを愛し

    人格や徳を高めていく

 

 

 

貧しいことは

貴く美しい

 

その理由

 

 

 

 

次に〝行 〟

 

 

実践すること

 

学んだだけで実践しなければ「活学」にはなりません。

 

安岡正篤師が重視する、学びを活かして生きること、「活学」

 

「活学」となってこそ、学ぶ意義、価値があります。

 

 

単に公式や年号を覚えさせるだけの現代の教育とは対照的です。

 

しかし、真の意味で生きようとするのなら、日々「活学」を念頭に置くことが必要でしょう。

 

単なる“物知り”は、“牛のケツ”と呼ばれる程度ですから。

(モウの尻→物知り)

 

 

 

AI(Artificial Intelligence:人工知能)に対する期待や不安、それらが入り混じって論議されている昨今、AIをもってすれば超難関大学など簡単に合格するようです。

 

やがて人々は、現代の教育に価値を見出せなくなり、いわゆる“お勉強”をしなくなるかもしれません。

 

しかし、「人間は考える葦である」ことから、何かを考えることになるでしょう。

 

それは、「なぜ生まれ出いでたのか」、「何を為すべきか」、「いかに生きるべきなのか」となるのではないでしょうか。

 

どんな未来が待ち受けているかはわかりませんが、人類の進化に影響を与えるのでしょう。

 

 

 

 

そして〝 忠 〟

 

 

誠実であること

 

人々と和を図ることに通じます。

 

博識多才といふことも、それは自分の内證事、人中にてはその時そのむれによりて、一應の興きょうをやぶらず、人のするやうに我もして、和を第一と心得るが雅なり。それにたがへば俗なり。

 

<引用:『百朝集』安岡正篤著 致知出版社 二四 雅俗 趙陶齋(養)より>

 

今日の言葉を補強するような一節です。

 

 

 

 

最後に〝信 〟

 

 

信義とされています。

 

信とは、仁、義、礼、智が本質通りのあり方をすることとされています。

 

仁義礼智信、これは人間の最も根本的な徳目の五つとされ、五常と呼ばれます。

 

 

義とは、仁が遠心的に他者に向かっていく心情であるのに対し、義は静的な秩序、あるいはその秩序を維持する心性をさすとされています。

 

求心的な印象になります。

<参考:『儒教入門』土田健次郎著 東京大学出版会>

 

 

 

 

四つの教えこそ

人生を活かし

生かす指針