子、四を以て教う。文行忠信。
(先師は、常に四つの教育目標を立てて弟子を指導された。典籍の研究、実践、誠実、信義がそれであった。)
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
まず〝 文 〟
研究すること、学問すること
典籍の研究とされており、人間学の研究です。
「いかに生きるか」を問うもの。
孔子の思いの中心であり、特に若い弟子であった顔回に大きな期待を持っていたようです。
その顔回の生き方として、安岡正篤師は著書の中で、次のように記されています。
「禄を得るに怖れ」、禄を得るということは、それで自分が縛られ、買われることであるから、禄を得るに怖れる。顔回の貧乏は有名なものであるが、貧乏してもなかなか人に買われない、縛られない。それは畢竟、人格を重んじ、自由を愛するからです。「身を治むるに慎む」わけです。
<引用:『人物となる道 「孔子家語十講」に学ぶ』安岡正篤著 致知出版社>
何ものにも
自分を売らず
迎合することもなく
自由であることを愛し
人格や徳を高めていく
貧しいことは
貴く美しい
その理由
次に〝行 〟
実践すること
学んだだけで実践しなければ「活学」にはなりません。
安岡正篤師が重視する、学びを活かして生きること、「活学」
「活学」となってこそ、学ぶ意義、価値があります。
単に公式や年号を覚えさせるだけの現代の教育とは対照的です。
しかし、真の意味で生きようとするのなら、日々「活学」を念頭に置くことが必要でしょう。
単なる“物知り”は、“牛のケツ”と呼ばれる程度ですから。
(モウの尻→物知り)
AI(Artificial Intelligence:人工知能)に対する期待や不安、それらが入り混じって論議されている昨今、AIをもってすれば超難関大学など簡単に合格するようです。
やがて人々は、現代の教育に価値を見出せなくなり、いわゆる“お勉強”をしなくなるかもしれません。
しかし、「人間は考える葦である」ことから、何かを考えることになるでしょう。
それは、「なぜ生まれ出でたのか」、「何を為すべきか」、「いかに生きるべきなのか」となるのではないでしょうか。
どんな未来が待ち受けているかはわかりませんが、人類の進化に影響を与えるのでしょう。
そして〝 忠 〟
誠実であること
人々と和を図ることに通じます。
博識多才といふことも、それは自分の内證事、人中にてはその時そのむれによりて、一應の興をやぶらず、人のするやうに我もして、和を第一と心得るが雅なり。それにたがへば俗なり。
<引用:『百朝集』安岡正篤著 致知出版社 二四 雅俗 趙陶齋(養)より>
今日の言葉を補強するような一節です。
最後に〝信 〟
信義とされています。
信とは、仁、義、礼、智が本質通りのあり方をすることとされています。
仁義礼智信、これは人間の最も根本的な徳目の五つとされ、五常と呼ばれます。
義とは、仁が遠心的に他者に向かっていく心情であるのに対し、義は静的な秩序、あるいはその秩序を維持する心性をさすとされています。
求心的な印象になります。
<参考:『儒教入門』土田健次郎著 東京大学出版会>
四つの教えこそ
人生を活かし
生かす指針