人心の霊なるは太陽の如し。然るに但だ克伐怨欲、雲霧のごとく四塞すれば、此の霊烏くにか在る。故に誠意の工夫は、雲霧を掃いて白日を仰ぐより先なるは莫し。凡そ学を為すの要は、此れよりして基を起す。故に曰く、「誠は物の終始なり」と。〔耋六六〕
(人の心の霊妙なる働きは、あたかも太陽のようである。しかし、克(勝ちを好む)、伐(自らを誇る)、怨(怨恨)、欲(貪欲)が雲や霧がかかるように全体を覆い塞ぐと、この霊性はどこにあるかわからなくなってしまう。ゆえに、誠意をもって工夫して、雲霧を払いのけて照り輝く太陽、すなわち心の霊妙な働きを仰ぎ見ることが何よりも大切である。
およそ学問をなす要点は、これによって基礎を築き上げるものである。だから『中庸』には、「何事も、誠に始まり、誠に終わる(誠がなければ何も成り立たない)」とあるのである。
<出典:『言志四録一日一言 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
人の心
幼い頃、父母よりも、祖父母の語りに何かしら重みを感じ、素直に聴いていた記憶があります。
交友
ちょっとした諍いのとき、自分は何をすればいいのか戸惑う。
強い者には憧れて自分もそうなりたいと思い、弱い者が差別されたり虐められたりしていると同情の気持ちが芽生えたものです。
正義とは
卑怯とは
皆で楽しむ、皆で笑い合う、その心地よさを感じ、反対に分裂や対立には不安を覚えたもの。
中高生になると、「皆」というより「個」の努力が求められ、また交友においても素直に共感できない部分が増えてきます。
そして社会人になると、自分の心の奥底に触れる機会が少なくなり、日々の仕事に追われるようになります。
人の成長は
克伐怨欲をも育み
それを自ら求めることもある
そのため
霊妙な心の動きからは
遠ざかってしまうもの
やがて、争いや犯罪に心を痛めることが多くなり、なぜ人間社会に平和や友好が育たないのか考えるようになります。
そのとき立ち還るのが
〝 純粋な心 〟であり〝 誠 〟
幼少のとき、仕事で多忙な父母よりも、人生の流れの終盤に差し掛かって、人の世を憂い、心にかかる雲や霧を取り除いてきた祖父母の語ること、そちらに関心を寄せるというのも自然なことなのでしょう。
学問を為す
それは人間学を深めること
心にかかる雲霧を取り除き
太陽すなわち〝 誠 〟に
真正面から目を向けて
人として立派に生きるための学び
幼き者たちとの
共感のときを味わいたい
偉い人間なんかにならなくていい
立派な人間になれ
(故ガッツ石松さんが10代の頃、再度の上京に際して、
工事現場で泥に塗れて働く母親が送った言葉)