霊光の体に充つる時、細大の事物、遺落無く、遅疑無し。〔耋六七〕
(修養によって心の霊妙な光が体に充満すると、どんな小さなことも大きなことも遺し落とすことなく、また迷ったり遅れたりすることもない。)
<出典:『言志四録一日一言 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
修養が高まれば
肝心な要点は当然として
隅や端の細部まで整えられ
そして
為すべきことに
迷いも遅れもなくなる
漠然と想像できますが、自分はそこまで至っていないので、明確に共感することは困難です。
ただし、一つの分野ならそれに近い意識を持つことができます。
例えば仕事自体は、細分化すれば数多くの技術や手順が必要です。
その一つ一つに注目すると、細部を見落とすことなく、全て事前に手当てを行い、意思決定も揺れることなく速やかに下せる領域があります。
このような状態になれるのはなぜかと考えたとき、それはやはり修養によるものと感じます。
具体的には、迷いが無いというのは、反対意見や攻撃、威圧に堪えてでもやり抜く力であり、遅れることが無いというのは、自分がそのことを大事に思い常に考えているからこそ、中核要素と細部ともに速やかな準備ができることです。
これら
壁を乗り越える
怠惰を押し退ける
確固たる意志
それが修養による効果
数々の日常生活における言動が、このような境地に至ることができれば、今日の言葉にあるように、心の霊妙な光が体全体に充満することになるのだろうと感じられます。
そしてそれが徐々に体の外側に滲み出てくるはず
(此を)中に誠あれば外に形わると謂う
故に君子は必ず其の獨を慎むなり
(『大学』)
反対に、この境地に至らなければ、一生は小人で終わります。
それが悪いこととは決めつけられませんが、この地上に命を授けてくれた創造主への協力、協働はできません。
多くの人はそのことに気付かされる時期があります。
すべて人は、何かに没入する機会に巡り合うはずです。
ただしそのとき、自分自身を諦めたり、他者からの批判に屈したり、常識や平均を持ち出して自分の心の灯を消したり、自分の置かれた環境のせいにしたりすれば、自分が咲かすべき花を咲かせることはできません。
これは、不安定な心の有様が、自ら自分の人生を小さい領域に留めようとするためです。
一方で、それらの障害に対して立ち向かおうとするのは〝 意思 〟です。
これは、自分の人生を充実させたいという〝 思いの力 〟です。
〝 意思 〟を起点として
〝 意志 〟が築かれる
心は、意志で統御することが大切ですが、心の感じ方や受け止め方によって、その意志の方向性が修正されることもあります。
心と意志
両者の間に生じる影響を
好ましいものにするには
周囲の喧騒から離れ
独り静かに
自分自身と対峙する
これが自らを律する
〝 慎獨 〟
そしてそれは
〝 修養 〟へと
繋がっていきます