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COLUMNSブログ「論語と算盤」

心を養う

2026年7月10日

く身を養う者は、常に病を病無きにおさめ、善く心を養う者は、常に欲を欲無きにる。〔耋六一〕

(自分の身体をよく養う者は、常に病気でないときに養生して病気にかからないようにしている。自分の精神をよく養う者は、常に私欲が起きる前にその芽を摘み取ってしまう。)

※ 「慎独」というのもこのことを言ったものと思う。

<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>

 

 

 

 

滅多に病気にかからない人は、元来頑強であり、また免疫力なども強いのでしょう。

 

逆に、病気にかかりやすい人は、また病気にならないよう日頃から健康に留意するでしょう。

 

いずれにせよ、災いや苦しみを未然に防ぐことが大事であることは間違いありません。

 

 

今日の言葉の後半は、心を養う大切さが説かれています。

 

監修者の渡邉五郎三郎氏は、〝 慎独 〟とはこのことと表しています。

 

 

〝 慎独 〟

 

独りで

自らを省み

自らを慎む

 

 

ただし、嫌なことは思い出したくないので、つい自分に甘くなることもあるでしょう。

 

 

そこで、古典を読むことを主眼とした〝 慎独 〟が有効になります。

 

古典を読むと、君子と小人の振舞いを比べて考えることで、自分の取るべき言動が見えてきます。

 

また、煩悩への対処法も教えてくれます。

 

 

過去の自分の失敗を思い出すきっかけになるかもしれません。

 

それはそれで反省し、次の局面では同じ轍を踏まないように心がける、そしてそのための勇気さえ古典は与えてくれます。

 

 

人の心の奥底には、必ず良心の火種があるはずです。

 

古典の教えにより、その火種を炎とし、心の養いへとつなげていくことができます。

 

 

 

この、心の成長を促すもの、逆に阻害するもの、ともに煩悩や小欲です。

 

例えば企業で、改善したり効果を上げたりする取り組みを思い付いたとき、〝この給料じゃやる気も出ないよ〟と動かないことなどは、まさに欲が良心の働きを阻害するという負の効果となって現れます。

 

 

 

こんな話があります。

 

ある土地で洋服の仕立屋を開業した人がいました。

しかしあるじは、その地の土着の人種ではなかったため、小学生くらいの子供たちが下校時に石を投げつけてからかい始めました。

子供というのは残酷な一面を有しており、興味があれば何も気にせずやってしまうことがよくあります。

このままでは商売が成り立たないと考えた主は、子どもたちに次のような提案をします。

「今度私の店に石を投げてからかったら、1ドルあげよう」と。

子供たちはきょとんとしたのち、恐る恐る石を投げてからかったところ、主から1ドルを手渡されました。

不思議な気持ちながらも、子供たちは次の日もやってきてからかいます。

主は「開店してから客が来ない。すまんが今日は90セントにしてくれ」。

子供たちは、「ふ~ん」という面持ちで帰ります。

次の日もからかったのですが、主は「もう無理だ。申し訳ないが10セントで勘弁してくれ」と。

子供たちは、「え~冗談じゃない、10セントなんかじゃやってられるか、ばかばかしい」と、次の日からは来なくなりました。

 

心の中に生じた動機、そしてそれを行う行動、その両者の間に金銭という概念を挟むことで、純粋無垢な子供でさえも動機のエネルギーが奪われてしまいます。

 

 

財や怠惰

人間の欲や煩悩

 

注意深く対応しないと

“猿回しの猿”にさせられます

 

 

 

ジェームズ・アレンの『「原因」と「結果」の法則』の中に次の一文があります。

 

故稲盛和夫氏(京セラ創業者)も講演等でよく語られていたそうです。

 

 

 もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったなら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。

 すぐれた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育みつづけます。同様に、私たちも、もしすばらしい人生を生きたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとに清らかな正しい思いを植えつけ、それを育みつづけなくてはなりません。

 もしあなたがその作業をつづけたならば、やがて必ず「自分は自分の心の園芸主任であり、自分の人生の総責任者である」という事実に気づくことになります。

 

<引用:『「原因」と「結果」の法則』

ジェームズ・アレン著 坂本貢一訳

サンマーク出版>