或始富終貧 或先貴後賤 〔實語教〕
あるいは始めは富みて終り貧しく、あるいは先に貴くして後に賤し。
(ある人は最初裕福であったのに最後には貧しくなり、ある人は最初高貴であったのに最後には賎しくなる。)
<参考書籍:『實語教童子教 改版』馬喰町 錦耕堂山口屋藤兵衛板 解説>
何かを始めるとき、それをやりたい、やる気持ちがある、だから始めるのでしょう。
そのため、勢いがあり、支援者が現れるなど追い風があれば、うまくいくことも多いでしょう。
ただし、その望ましいと思われる状態が続くかどうかはわかりません。
うまくいったと思っても、気を抜くと落ち目になってしまうのは、よくあることです。
そうなってしまうと、いくらそこから頑張ったとしても、挽回は相当に困難です。
帝王之業、草創與守成孰難
帝王の業として
国を建てる草創と
その国を維持する守成とでは
どちらが難しいだろうか
<引用:『貞観政要 全訳注 呉兢編』石見清裕訳注 講談社学術文庫>
継続して良い成果を出すためには、絶対的な目標や個人としての志がなければなりません。
例えば、一位になりたい、金持ちになりたいなどという目標で始めたとして、うまくそれが実現できたらそれ以上のエネルギーは出てきません。
つまり、相対的な動機で物事を継続すること、特にそれを良い状態に保ち続けることは不可能と言っても過言ではないでしょう。
米大リーグで殿堂入りした日本の野球人、イチロー氏は「自分には、心の中に磨き上げたい〝 石 〟がある。それを野球を通じて輝かせたい」という思いとのこと。
(参考:『1日1話、読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書』藤尾秀昭編 致知出版社)
氏の野球に対する言動を見るに、この言葉通りに生きている、言行一致の姿だと感じます。
ここに人生の真理があるように思います
戦国時代から現在までの名だたる偉人は皆、自身固有の思い入れや価値観を持っており、それに従って決断し、諦めることなく努力を継続した人達です。
そしてその思いや価値観は、まさに人間学としての絶対的テーマであり、決して時務学的で相対的なものではありません。
現代の小中学高校教育では、平均よりも学力レベルを向上させることに主眼を置いています。
それは結果的に、金銭面の欲求を充足させる力、理路整然と語る力、情報を集めてまとめる力というような内容ばかりです。
人間学的な要素は軽視されています。
このような、いわゆる“お勉強”ばかりをこなした人たちが年齢を重ねるのなら、若いうちは体力を頼りに短期的な成果を上げて満足できることもあるでしょうが、それはそこで終わりです。
さらには、人生の中途で燃え尽きたり、定年後に生きる意味を失ったりしてしまいかねません。
今一度
自分は何のために
生まれてきたのか
この一生で
何をなすべきなのか
与えられた使命は何なのか
考えることが必要では
人は全員
天から封書をもらって
この世に生まれ落ちてくる
その封書を開いたら
あなたは
こういう生き方をしなさいと
書いてある
しかし
せっかく天からもらった封書を
一回も開かないまま
死んで行く人が多い
(哲学者・教育者 森信三)