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COLUMNSブログ「論語と算盤」

動機は大切な心の灯

2026年6月30日

のたまわく、われうまれながらにしてこれものあらず。いにしえこのみ、びんにして之をもとめたる者なり。

(先師が言われた。

 「私は、生まれながらに道を知る者ではない。古聖の教えを好み進んで道を求めた者である」)

<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>

 

 

 

 

生れながらにして聖賢の道を知る

 

そんな人はいないのでしょう。

 

二千五百年の間、名を残し続けた孔子でさえ、学び続けたわけです。

 

 

 

個人的には、孔子が古聖の教えを好んだ理由、〝 動機 〟に興味が湧きます。

 

 

何がきっかけで

その方向に進んだのか

 

 

 

多くの人もそうでしょうが、今の私というものは、自分の動機から形作られたと思います。

 

高校生の時代、早く社会に出て仕事上で大暴れしたいと思いました。

 

大学などまどろっこしいけど、行ける環境でもあったせいか、ひとまず進学を選びました。

 

結果、意味ある四年間を得られた思うことができて、幸いだったと感じます。

 

 

 

社会に出て、仕事というものの全体像、その何たるかを知りたいと、興味を持って勉強もしました。

 

しかし、勇んで入社した会社での営業成績は振るわず、というか惨憺さんたんたるという表現が適切かもしれない状況でした。

 

ただし、会社を辞めはしませんでした。

 

 

 

やがて状況が変化し、水を得た魚のごとく仕事に邁進したものです。

 

三十歳中盤、野心と意欲をもとに退社し、独立に臨みましたが、改めて大きな挫折を味わいました。

 

 

 

そしてその頃から、漠然と人間学に惹かれ始めます。

 

故人の生き様や言葉に圧倒され、感動し、次々に古典や関連書物を読むようになりました。

 

 

 

先ほど、営業成績が惨憺たる状況でも会社を辞めなかったと書きましたが、その理由はただ一つ、「石の上にも三年」という教えが頭をよぎったからです。

 

 

小さい頃から

何回も耳にした言葉

古くからの諺

 

 

我慢したおかげなのでしょうか、先ほども述べたように、三年過ぎたあたりから大きな変化が現れました。

 

 

幸福は、最初不幸の形をして現れるのが常である

 

(参考:月刊『致知』2026.06)

 

 

幼い頃、優しく見守ってくれた祖母から、二宮金次郎の「遠くをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す」や「年上の女房は金の草鞋を履いてでも探せ」という言葉を教えてもらいました。

 

ちなみに、三十五年近く連れ添っている私の妻は六歳年上です。

 

 

 

小さいときに耳に入ってきた教訓

その後は仕事に夢中になるものの

やがてまた古の教えに戻ってきた

そんな思いです

 

 

 

〝 動機 〟は生きる意欲

そして心の灯

 

生きていく限り

燃やし続けるもの