德は本なり。財は末なり。本を外にして末を内にすれば、民を爭わしめて奪うことを施す。是の故に財聚れば則ち民散じ、財散ずれは則ち民聚まる。是の故に言悖りて出ずる者は、亦悖りて入る。貨悖りて入る者は、亦悖りて出ず。
(要するに徳が本で財は末である。
本である徳をおろそかにして、末である財を重んずれば、遂には民を争わせて奪い合うことを勧めることになるのである。
そこで税をきびしく取り立てて、国に財が集り過ぎると、民衆は生活が苦しくなって他国へ去って行くようになる。逆に財を活用して民衆の幸福をはかれば、その風を聞いて他国からもどんどん集まって来るようになる。
これと同じく道理に反した無茶な言葉を吐くとそのしかえしとして暴言が返って来る。又財も無理をして入れたものは、やがて意に反して出ていくものだ。)
<出典:『『大学』を素読する』伊與田覺著 致知出版社>
今日の言葉は、現代における大国の政治の姿を思い起こさせる内容だと感じます。
政を預かる者の本来の姿は、自国を良くする政策を施していくことでしょう。
しかし、そういう徳を持たず、財を重視する政治家がけん引する国が増えてきてはいませんか。
そんな国のほぼ全てで、国民同士の争いが生じています。
日本にも少なからずそんな風潮が出てきているようで心配です。
今日の言葉とは無関係かもしれませんが、個人的には、「○○ファースト」という主張は立場が違う者同士の対立の火種になっているように感じます。
無茶で乱暴な言葉を吐けば、同じような暴言が返ってくるというのは、振り返ってみると体験した気がします。
交渉事に際して戦略を練っているとき、自分たちの利の追求にこだわり過ぎてしまうと、同僚からさらに激しい極端な提案が出てきたことがありました。
そんなことをしたら相手に恨まれてしまうと感じたのですが、そういう思考を生じさせた発端は、自分の発した内容だったということに気付かされました。
やはり、「三方良し」に代表されるように、自分たちの利のみを重視するのではなく、他者・他社と協力し合っていかなければ、最終的には、自分の周囲の状況や、自分の心の内が殺伐としたものになると思います。
悪事はもとより、ちょっとした出来心で得た財や、必要以上に得られた財は、決して望まれる使い方はできません。
ムダ使いや
享楽に費やしてしまう
それが関の山
大切なのは
徳ある行為を正しく捉えられるか
徳のある人を見定められるかどうか
徳ある行為を捉える力
徳ある人物を見定める力
それは
自らが徳を有してこそ得られる力
自国が治まること
それは徳ある人物を長に選ぶこと
その力がなければ実現できません
力で立つものは力で滅びる
金で立つものは金で滅びる
徳で立つものは永遠なり
(〝 今白隠 〟と称された名僧 山本玄峰の言
出所:月刊『致知』2026.06号)