Loading

COLUMNSブログ「論語と算盤」

真理をつかむ

2026年6月5日

修善者蒙福 譬如響應音 好悪者招禍 宛如随身影 〔實語教〕

ぜんしゅする者は福をこうむる。たとえばひびきの音に応ずるがごとし。

悪を好む者はわざわいを招く。あたかも身にかげしたがうが如し。

(善を行う人には必ず福がやってくる。例えば、山で聞えるこだまのように。

 悪を働く人は、自ら禍を招くことになる。まるで自分の影が自分から離れないように。)

<参考書籍:『實語教童子教 改版』馬喰町 錦耕堂山口屋藤兵衛板 解説>

 

 

 

 

善いことをすれば

自分に返ってくる

 

 

 

小さい頃から、掃除したり、人に優しくしたりすれば、それは後々自分に返ってくるものだよと諭されたものです。

 

しかし多くの人は、そんなことはない、どんなに良い行いをしても、自分に良いことなんて起こったためしがないと思っているのではないでしょうか。

 

 

このことは、教え諭した大人の方に問題があるように思います。

 

見返りを求めようという下心があれば、結果は思い通りにはなりません。

 

子供に教えるとき、見返りが目的のような印象を与えてしまうと、その言葉の価値、その行動の意義は無くなります。

 

 

 

徳のある人、よくできた人、人間の中身が立派な人というのは、常日頃から自分の身の回りを整理整頓しており、掃除もしています。

 

また、人の話によく耳を傾けて、共感したり、苦しみや悲しみを一緒になって感じたりしようとしています。

 

 

これは

見返りを求める行為ではありません

 

 

その清廉さや、人の話を傾聴し、勇気づけたり、助けたりする行為、その行為そのものが、自分の満足感や楽しみになっているのです。

 

つまり、自分の一日一日を気持ちよく前向きなものにするため、そして人生を充実したものにするために、自分が楽しめる行為として清掃や人助けをしているわけです。

 

 

 

 

あなたは、人から贈り物をいただくことと、人に贈り物をすること、どちらに嬉しさや喜びを感じますか。

 

 

真心を持って

 贈り物をするとき

  贈り物をもらうときより

   嬉しさや喜びを感じるもの

 

 

 

ほとんどの人

実は一緒なはず

 

同じ人間として

同じ〝 良心 〟を持って

この世に生まれてきたのですから

 

 

しかし

大切なことに気づかなければ

贈り物が来ないかなぁとか

中元や歳暮も良いけど

どうせなら宝物が良いなぁなどと

日々夢を見るだけ

 

 

 

なぜ、こうなるのか

 

 

 

物事の真理を自分でつかんでおらず

 他人の意見や俗世間の短絡的な感情に

  自分の心が染められてしまっているから

 

 

しかし

 だからこそ

  変えことができるのです

 

 

一つひとつの行為

それを真剣に考え

 

自己におけるその意義を

自らの価値観で感じ取り

自分の人生に活かすこと

 

 

そしてそれは

心の中心にある

〝 良心 〟を基とすること