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COLUMNSブログ「論語と算盤」

古の智慧

2026年6月2日

つねところは、しょ執禮皆雅しつれいみなつねうなり。

(先師が、常に標準語で言われたのは、詩経、書経及び礼の書物であった。)

<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>

 

 

 

 

正しく他者に伝えること

それは簡単ではありません

 

 

 

算術的なことや時務学的なことは比較的容易ですが、人間学の範疇や人の交際の領域では、正しく伝わらず、勘違いされてしまうことも多々あります。

 

つまり、仁義礼智信や徳に関する事柄を他者に正しく伝えるには、相当に熟練していることが必要となるのです。

 

 

 

孔子が常に語っていた教えは、詩経、書経、礼の実践であり、またそれを弟子たちに語るときには、誤った解釈にならないように正しい標準語で行っていたということ。

 

それに対して、日頃の会話はいわゆる方言のような言葉を用いていたようであり、当時の中国には多様な方言が存在していたようです。

 

 

 

孔子の教え、特に詩経は孔子自身が編さんしたものとされており、書経についても整理に携わったようです。

 

これらは事実かどうか、また後に贋作も混じったと言われるなど不明瞭な側面もあるようですが、いずれにせよ孔子が大事にしていた教えであることには間違いありません。

 

 

 

 

 

私たちの日本語は

時代とともに変化しています

 

 

 

簡略化したり、若者言葉が定着したり、また熟語の意味を取り違えて解釈したり、昔からかなり変化し続けてきています。

 

便利だとか時代を表しているなど肯定的な意見もあるようですが、その言葉が生まれた時代背景や理由をうかがうことが困難になってしまうことも事実です。

 

 

 

古の時代、さらには近代においても、言葉や教訓の成り立ちには必ず根拠や事実があったはずです。

 

それを知ること無しに、先人の知恵を引き継ぐことはできません。

 

 

 

人類としての智慧の宝庫である古典

自らが感銘できる教えを学び

自分の人生に役立てる

 

これは

人類という

種の成熟課程において

とても大事なことであるはずです