人は童子たる時、全然たる本心なり。稍長ずるに及びて、私心稍生ず。既に成立すれば、則ち更に世習を夾帯して、而して本心殆ど亡ぶ。故に此の学を為す者は、当に能く斬然として此の世習を袪りて、以て本心に復すべし。是れを要と為す。〔耋五一〕
(人は幼い時、無垢で完全な真心を持っている。やや大きくなると、私心というものが少し芽生えてくる。そののち一人前になると、さらに世俗の習慣が身についてきて、汚れのない真心はほとんど失われてしまう。したがって、聖人の学問をする者は、世俗の習慣をきっぱりと断ち切って、真心に帰るようにしなくてはいけない。これが重要な点である。)
<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
今日の言葉は
長い間
気にも留めていませんでした
日々知識を増していく自分、それはきっと成長していくことと確信していました。
確かにそういう一面もあるのでしょうが、引き換えに自分の本心、純粋で無垢な真心は、心の片隅に追いやられてしまう。
十代のころ、今日は爽やかだねと言葉をかけてくれた人がいました。
私は実感として、全くピンときませんでしたが、今でも記憶しています。
そのとき、その人から見た私は、おそらく純粋、無垢な素の心が現れていたのかもしれません。
現在、私が発する言葉や言い回し、それは自然と、世俗の中の気に入ったものをうまく当てはめようとしたものです。
だからなのか、人前でしゃべることは苦手な方ではありません。
しかし
どれくらい伝わっているのか・・・
話が上手でなくても、朴訥とした語りであっても、人の心を震わすことはできます。
それはきっと、真心が口から現れてきているからなのでしょう。
年をとると
段々と身体と心が退化し
子供の状態に戻っていく
そんな話をどこかで聞きました
冒頭に書いたように、長い間気にも留めていかなかったこと、それがどういうわけか気になるようになってきたというのも、実は大切なことを思い出させてくれている、そういう年代になってきたからだという気がします。
おもしろさや興味
思いやりや気遣い
自分の感性と他者への情
一層高めていきたいと思います
真心
素心
そこに立ち返ること
それが
天から授かった
自分そのものであるから