所謂天下を平らかにするには、其の國を治むるに在りとは、上老を老として民孝に興り、上長を長として民弟に興り、上弧を恤みて民倍かず。是を以て君子に絜矩の道有るなり。上に悪む所を以て下を使う毋れ。下に悪む所を以て上に事うる毋れ。前に悪む所を以て後に先んずる毋れ。後に悪む所を以て前に從う毋れ。右に悪む所を以て左に交わる毋れ。左に悪む所を以て右に交わる毋れ。此を之れ絜矩の道と謂う。
(八条目に「天下を平らかにするには、其の国を治むるに在り。」とあるのは、君主が、老人を老人として心から大切にすると、民は自ら自分の親に孝養を励むようになる。君主が年長者を年長者として大事にすると、民は自ら兄や姉に素直に従うようになる。君主がみなしごをあわれんでよく面倒を見ると、民は心から従うようになる。そこで君主には君主としてのよるべき尺度(基準)となる道があるわけである。
上位に対して嫌だと思うことを以て下位の者を使ってはならない。下位に対して嫌だと思うことを以て上位に事えてはならない。前に対して嫌だと思うことを以て後に移してはならない。後に対して嫌だと思うことを以て前に前に移してはならない。右に対して嫌だと思うことを以て左に交わってはならない。左に対して嫌だと思うことを以て右に交わってはならない。これを人間交際の尺度(基準)と謂うわけである。)
<出典:『『大学』を素読する』伊與田覺著 致知出版社>
誰もが感じたことがあるでしょうが
どこから見ても疑念なく
晴々とした状況
それは間違いなく望ましいはず
そういう状況を生み出すには、一人ひとりの努力だけではなかなか実現しません。
君主、国のトップがこのような姿勢を示してこそ、国民、人々がその心を感じ、見習い、望ましい姿勢でいようと努めることができるでしょう。
そんな君主が現れれば、人々は希望が持てます。
佐藤一斎先生(美濃国岩村藩の儒学者:1772~1859)は、岩村藩のために掲げた『重職心得箇条』の最後に、次の十七条を締めくくっています。
人君の初政は、年に春のある如きものなり。
先人心を一新して、発揚歓欣の所を持たしむべし。
刑賞に至ても明白なるべし。
財帑窮迫の処より、徒に剥落厳沍の令のみにては、始終行立ぬ事となるべし。
此手心にて取扱あり度ものなり。
(人君が初めて政事をする時というのは、一年に春という季節があるようなものである。
まず人の心を一新して、元気で愉快な心を持たすようにせよ。
刑賞においても明白でなければならない。
財政窮迫しているからといって寒々とした命令ばかりでは結局うまくいかないことになるだろう。
ここを心得たうえでやっていきたいものである。)
<出典:『佐藤一斎 重職心得箇条を読む』安岡正篤著 致知出版社>
現実にはどうでしょう。
「これっておかしくない?」
「こんな不条理を放っておいていいのですか?」
子供や部下後輩から質問されたこともあるでしょう。
「それが実際の社会であって、それをうまく乗り越えていかなきゃならんのさ」と、やり過ごしてきましたか。
自分はそれで楽かもしれませんが、後に続く者にとっては負の日常が定着・硬直化していくばかりです。
今は解決できないかもしれませんが、変えること、新しくすることが必要だということを明確にすることが大切です。
受け身に回ってやり過ごすのではなく、自分の生き様のために行動していく姿勢、これが大事なのではないでしょうか。
享楽的な喜びや自尊心
あるいは財産などでなく
真の意味でこの世に何も残せない人生
存在した証を残せない人生
真平御免です
勇気と信念と志を持って
行動で示していきたいと思います