見他人之愁 即自共可患 聞他人之喜 即自共可悦 〔實語教〕
他人の愁いを見ては、即ち自ら共に患うべし。
他人の喜びを聞いては、即ち自ら共に悦ぶべし。
(人が悲しんでいる場では、自分もともに悲しんであげる。人が喜んでいる場では、自分もともに喜んであげる。)
<参考書籍:『實語教童子教 改版』馬喰町 錦耕堂山口屋藤兵衛板 解説>
人の役に立つこと
人に課せられた役割
それと同時に
自分のためになる
若い時期、基本的な事柄を学んでいく過程においても、一緒に悲しんだり、楽しんだりということで役に立てます。
成人して社会の一員になれば、(正しい)需要に応じること、それがそのまま人の役に立つことになります。
年老いても、その長い経験があればこそ、老若男女を問わず相談に乗ることで役に立てます。
人が悲しんでいるとき、求められることは、傍にいてあげること
大きな悲しみに直面している間、言葉は不要です。
背中をさすってあげたり、手を握ってあげたり、触れ合うことが大切
そして、時間が心の傷を徐々に癒してくれるとき、良い言葉と巡り合うことで前を向くことができるようになるでしょう。
悲しみを乗り越えるには、時間がかかります。
あなたが最も近い場所にいるのなら、相手の気持ちにとって最善の方法で接してあげること。
しかし、人の心は読めません。
急がず、慌てず、ゆっくりと、気にかけておいてあげることが最も大切でしょう。
人が喜んでいるとき、まずは一緒に喜んであげる
ただし、喜びはいつまでも続くわけではありません。
新しい喜びを生み出す、そういう次の場面への意識の転換を促してあげたいものです。
優勝した、合格した、達成した、褒められた、表彰された、結婚した、子供が生まれた、家を建てた、宝くじが当たった、など
これらは、喜んだ時点ですでに過去のものになります。
さらに言うと、すべて、ある一つの現象でしかなく、大切なことはこれからどう歩んでいくか。
その人のこれからを促すこと
何も言わなくても、本人が気づくことが多いでしょう。
「望みが叶ったね」、この一言だけでも十分です。
なぜなら、よく考えてみれば、次の行動を促す効果が隠れています。
「望みが叶ったね。(さぁ、次はどうする?)」
今日の言葉は、第三者を当事者と見立てた内容でした。
しかし、当然ながら自分も当事者になり得ます。
どんなことがあっても
自分を見失うことなく
全ての経験を糧にして
命がある年月
自分を高め続けたい