悔の字は、是れ善悪街頭の文字なり。君子は悔いて以て善に遷り、小人は悔いて以て悪を逐う。故に宜しく立志を以て之れを率いるべし。復た因循の弊無からんのみ。〔耋二一〕
(悔という字は善と悪の分岐点となる文字である。立派な人物は悔いて善のほうへと移っていくが、つまらない人物は悔いてやけになり、かえって悪を追うようになる。だから、ぜひとも志を立て、この悔の字を率いて、ぐずぐずするという悪習を打ち破らなければならない。)
<出典:『言志四録 佐藤一斎』渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
後悔
誰にでもあること
挑戦したり意見を通そうとしたりしたとき、自分の言動に後から悔やむことなど日常茶飯事です。
また、ほんの些細な出来事への対応でさえ悔いることもあります。
大切なのは今日の言葉に凝縮されており、悔いた後には良い方向、改善する方向へ進んでいくことです。
小人が、悔いてやけになってかえって悪を追うようになるという場面は色々あるでしょう。
例えば子供のころ、友人を虐めて力ずくで言うことをきかせたとしましょう。
家に帰って一人になったとき、良くないことをしたと感じることができれば反省し、悔いて改めようとするでしょう。
しかし、そんなふうに考えたくない、少しでも自分を否定したくないという気持ちが勝れば、次の日もその次の日も同じこと、つまりは悪を継続してしまう。
自分の感情に従属し過ぎて、自分を律することができないまま一端の悪人へと進んでいく。
他方、悔い改めることができれば、次の日からは同じ過ちを起こすことはないはずです。
反省から未来を創る
これは〝過去を変える〟こと
一度の過ちを反省できず、引きずっていけば悪人へと進み、その結果、ただ一つの古い昔の過ちに人生が矮小化されてしまいます。
ただし、反省して悔い改めることができれば、あの経験があったから今の自分があると考えられるようになり、さらに高いレベルへと成長できます。
つまり、同じ過ちや失敗でも、〝自分の考え方〟次第で、自分を高めるためには必要な経験であった、大切な躓きだったのだと納得できるようになるのです。
〝自分の考え方〟
それは明るい未来への羅針盤
〝自分の考え方〟
それは〝立志〟
いかに生きるか
年齢に関わらず
その志を立てることが
人生の分岐点となるのです