雖入富貴家 為無財人者 猶如霜下花 雖出貧賤門 為有智人者 宛如泥中蓮 〔實語教〕
富貴の家に入ると雖も、財無き人の為には、猶霜の下の花の如し。
貧賤の門を出と雖も、智有る人の為には、あたかも泥中の蓮の如し。
(意訳:たとえ裕福で身分の高い家に生まれたり養子として入ったりしても、智恵や徳がなければ、ちょうど霜が降りた下にある花のようにやがて萎んでしまう。
たとえ貧しくて身分の低い家に生まれたとしても、知恵や徳があれば、あたかも泥の中で清らかに咲く蓮の花のように、立派に身を立てることができる。)
<参考書籍:『實語教童子教 改版』馬喰町 錦耕堂山口屋藤兵衛板 解説>
智恵と人徳の尊さ
實語教は常に訴求します
人というものは、放っておけば、智や徳よりも財になびき易いからなのでしょう。
財が第一という人は、振舞いや言動が奢侈的になり、地道な貯蓄よりも消費に重きを置きます。
また、“ 宵越しの金は持たぬ ”という言葉もあるように、あたかも豪遊することが大人物のような印象を持っている人も少なくありません。
思うに、財を重視する小人が少々存在していても、そう大きな問題は生じないと感じます。
しかし、中には看過できない小人もいます。
例えば、どうしても財を得たい、そのためならば悪行をも働くという輩です。
これは、ちょっとした万引きから凶悪な強盗などの犯罪者を生み出す源となり、治安の揺らぎに繋がります。
これを防ぎ安寧な世の中にするためには
〝人の価値とは財ではなく智恵や人徳である〟
このような意識を共通認識にせねばなりません
しかし近年のわが国は未だ逆方向、つまり財を重視する方向に向かっています。
幼い頃から金銭感覚を身に付けさせようとする授業などもその一つでしょう。
智恵や人徳の重要性を理解し、人として強くなった上で、このような知見の学を行うのならまだしも理解できます。
脳が柔軟なこの時期には、算術的で時務学的なものではなく、考えること、そして自分で決めることの大切さを育てるという、人間学的な要素の教育が重要ではないでしょうか。
人が幸福に生きるための知恵や道徳
それらの育成を重視せず
ただ財に関する知識を押し込むこと
それは
人より得するための
さもしい知識を身に付けさせるだけ
つまり
上述したような犯罪者
それを生み出す種蒔きになりはしないか
幸い、このような試みに対して多くの人が、現状では訝しがっている様子であることが救いです。
財を第一に考える小人が多少いても仕方ないでしょう。
〝水清ければ魚棲まず〟ですから。
しかし、一国の存立基盤は、人口、国土、財など、規模だけ大きい大国に翻弄されることのない、人徳を持つ国民がどれだけいるかではないでしょうか。
一家仁なれば、一國仁に興り、
一家讓なれば、一國讓に興り、
一人貪戻なれば、一國亂を作す。
其の機此の如し。
(一家が仁にあふれていれば、国中が仁にあふれるようになる。一家が譲り合う気風であれば、国全体が我を捨て譲り合うようになる。ただし、一国の長が貪欲でわがままであれば、国中に争いごとがあふれるようになる。治乱興亡のきっかけは、このように些細で微妙なものである。)
<大学>
現在
その文化や考え方
そして人々の生き方に
諸外国の関心が高まっている日本
そういう我が国こそが
人が生きる
真の基盤を示す役割をもっています