子曰わく、甚しきかな、吾が衰えたるや。久しきかな、吾復夢に周公を見ず。〔述而第七〕
(先師が言われた。
「この頃、私の衰えも甚しいものだ。理想の人として尊敬してやまない周公の夢を見なくなって久しいなあ」)
※周公、姓は姫、名は旦。周の武王の弟、周の王朝文化を創建した。魯の始祖。
<出典:『仮名論語』伊與田覺著 致知出版社>
嘆きか
寂しさか
他者の言動や振る舞いを対象にした言葉ではなく、孔子本人の心情が発せられています。
理想とする人物の夢を見なくなったということ
それは理想、あるいは目標を失ったということでしょうか
しかし孔子は、これ以降も世を良くしようと、弟子を育てようと、理想に向かって真っ直ぐに進んでいきます。
周公の一言一言
考え方と根源
洞察力と愛情
一挙手一投足
これらほとんどの要素を学び取ったのでは
周公と同じ目線で物事を見る
それができるようになったのでは
決して嘆きではなく、自己完成した状況なのかもしれません。
しかし、謙虚であれば、そんな傲慢な思いには蓋を閉じます。
理想の人と夢の中で会えなくなった
今日の言葉は
その寂しさを表しており
実のところ
嘆きではないと感じます
現代社会ではどうでしょう。
もし容易な目標を掲げ達成したならば、何か大きく成長したような気になるかもしれません。
しかし、そこで達成感を味わってしまうと、その後の人生で同じように燃え上がる目標を得ることは困難になります。
一方で、大きい目標、困難な目標であるほど、その道のりは時間がかかり、日の目を見ない時期も長く続きます。
そこでやめてしまっては、すべておわり。
どんなにしんどくても、諦めずに続けていけるか。
それはやがて信念へと進化し、本物の人生が練り上げられていくきっかけになるでしょう。
この人生を大きく生きようと、意気揚々と学び、そして力を使い、毎日それこそ血眼になって走っていく
10年、20年でついにその目標の状態を実現できたのなら、それには達成感があるでしょう。
しばらくは自分に酔いしれ、無限の力を手に入れたように感じるかもしれません。
一方で、40年、50年、それ以上かかけて一歩一歩進んでいくことも大いなる人生。
論語を基にしたとのことですが、徳川家康に次の有名な言葉があります。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし
必ず急ぐべからず
人間学
自己陶冶
修養
これこそが永遠の目標
理想への道と感じます
本当の自分を知り、本当の自分をつくれる人であって、初めて人を知ることができる、人をつくることができる。
国を知り、国をつくることもできる。
世界を知り、世界をつくることもできる。
<引用:『安岡正篤一日一言』安岡正泰監修 致知出版社>